No.9, No.8, No.7, No.6, No.5, No.4, No.3[7件]
「あんたの記憶はあたしが作った。あんたはあたしのもんだ。そして、体はみどりのもんだ。あんたの魂を、あんたの体に戻そうじゃないか。あんたの体は健康体になった上で他のところに再度冷凍保存してある。さあ、その体をみどりに返せ。」
「な、なに言ってるの?!私の体は」
「あんたの魂と命は、もう元の体にあるべきだ。あたしが消しちまったが、あんたは健康体になりたいって望んだじゃないか。その願いを叶えるために、あたしは文字通り命張って」
ユキヒロは何も言わなかった。が、ムラキは言った。
「トモエ…行きな。あんたの体があんたのものじゃないとは、実は知ってはいたんだ。だが、元の体が無いままでそんなことを言うなんて残酷すぎるから黙ってたんだ。さあ、行け。命令だ。聞けよ。」
「私はあんな悪党とは一緒には…」
「あそこまでしてくれちゃった奴を悪党だと?ちゃんと元に戻してもらってから文句言いな。あんたが生きてるのは誰かのおかげだと私は思ってきた。それが、私たちが捕まえようとしていたあいつらだったんだ。捕まえることと、あんたが助かることは、別の次元のことだろう?」
「ちょーーーっと違うね、全部、あたしのやったことだ!文句は絶対言わせねえ!黙ってついてこい!そうでなければ」ヨシが縄をトモエの、いや、みどりの体に放り投げて捕まえ、車に乗せた。「ちょっとこいつ借りるよ」「ムラキさん!ちょっと、私全然納得できな…」ヨシがガムテープでトモエの口だけを丁寧にふさぐ。「うるさいのは嫌いなんだ、黙ってな」
「バカ!一時間もこんな…」「これでも飲んで落ち着いてな」三人はトモエの屋敷にいた。ユキヒロは行きたがったが、ムラキという上司の権限で黙らせたらしい。
「ヨシ、病院に行ってこい。妹だと思っていたあの女の子はな、」
「みどりなんだろ?」
「ものわかりいいじゃねーか、随分今日はいい子で」
「これが終わったらさ、アキはどうするつもりなんだ?」
「…ヨシも来るか?あたしはもうここにはいられねー。」
古い機材を出して、アキはそれを、トモエに繋いだ。
ヨシは、病院から「みどり」の体を連れ持ち出してきた。「俺たちがやり合ったみどりっていうのは…」
「あれはカシが作った失敗作だ。本物はこっちさ…」
みどりの体をさしてそう言った。
「みどりはな、本来生きていなかったが電子の渦に巻き込まれる事故で一度命を失いかけて、あたしたちと同じ体になった。それから…色々あって生きるのを一度休みたいと言い出したんだ…」
「それで寝込んでたのか」 「いや、命と魂を置いて、ネットワークの中に意識と、不完全な記憶をしまいこんで、行ってしまったんだ。つまり、知らない相手じゃなかったんだ。ただ、あんな風に変わってしまったとは思いもしなかった。」
「みどりの身体だけが、正確に時を刻んでいたってことなのか?」
ヨシはふとそう言った。
「そうだ。ただ、みどりは私たちのうち一番年下だった。だから、今の私と同い年くらいの見た目になっているのさ」
「と、いうことはアキたちがコールドスリープにいたのは」
「金が無かったからね、たったの数年ってことだ」
「だから、強盗みたいなことをやりだしたのか」
「そうだよ。金がなきゃ、トモエやみどりを助けてやれないだろう?」
「アキは、そのためだけに…カシが嫉妬したのはもしかしたら、」
「そうなんだろうな。あたしがずっと気にしてたのはカシのことじゃなくて、トモエのことだったからな。」
「さて、さっさと病院行って来い…」
「できねーんだけど。生命装置とか、モニタリング取ってんの忘れたか?」
「あー…。」
「俺らが面会って形で行くしかないんだよ」
「ヨシ、トモエの縄を解け」
「わ、私…」トモエは髪を揺らして何か言おうとした。「オッケー。じゃ、行くんだな」「もち」ヨシは一言、トモエに付け加えた。「逃げたらタダじゃすまさねえからな。俺はお前のこと全然信用してねえんだ、悪いなあ」
「クルマに乗れ。悪いが、乗ってる間は手足の自由を制限させてもらう。」
「ヨシ…」
「アキにとっては大事な人物なんだろうが、これは無事に終わらせなくてはならないことだ。」
「あたしに口を出せるようになったんだな、いいことだ。」
ヨシはその発言に違和感を覚えたが、ここは無視しておくことにした。
流れる景色。
「病院は近くなんだ。すぐ着くさ…」
ヨシとアキは病院に着くなり、ずっとキーボードを叩いていた。もうやるべきことはひとつだけだけれど。
ことがすべて、終わってしまった時、トモエは涙を流した。忘れていた出来事が、全部目の前にあった。「みどりはもうこれで死んでしまった…」
「いいんだよ、みどりはな、"もう死んでたんだ"。それに、生きてるのが嫌だったんだ。生きていたい奴と生きていたくない奴が二人、揃ったからこんなことをしたのさ。生きていたくない奴の身体が役に立っただけのことだ。あたしはネットワークの中で不完全なみどりの残骸に再会して、間違ったことをやっていることはもうよくわかったから、もういいんだ。」
「アキ、あなたを恨めばいいのか、感謝すべきなのかわからない」
「…そんなの、自分で決めろよ。好きなようにすればいい。あたしはね、あんたに生きててほしかった。でも、あたしはもう元のあたしじゃない。あんたには同僚や上司がもういる。あたしたちはもうこの街からでていく。あんたは寿命を全うする。それだけで、もう充分だ」
アキは周囲の異変に気がついた。
「ヨシ!行くぞ!」
「もういいのか」
「ああ、いいんだよ。もういいんだ」
窓のそばにいるトモエの髪が少しだけ切り離されて飛んでいく。
「寿命、か、それとも、それがてめーらの正義か」
ヨシはゲートを開いた。そして、2人は肉体ごと、ネットワークに入り、少し遠くに置いてあったクルマに戻った。古い機材は捨てて。
トモエは、後ろからガラス窓を突き破ってきた銃弾に貫かれ、倒れた。意識を失い、そこに落ちていたマシンを拾ったのはムラキだった。
「正義っていうのはね、一滴の墨汁も紙に垂らして汚してはならないものなの。私を憎まないでね、これはもっと上の命令だから逆らったら死体が増えるだけなの」
ユキヒロは頷いて、トモエを電子化するための装置を装着させ、データを抜き取った。
「な、なに言ってるの?!私の体は」
「あんたの魂と命は、もう元の体にあるべきだ。あたしが消しちまったが、あんたは健康体になりたいって望んだじゃないか。その願いを叶えるために、あたしは文字通り命張って」
ユキヒロは何も言わなかった。が、ムラキは言った。
「トモエ…行きな。あんたの体があんたのものじゃないとは、実は知ってはいたんだ。だが、元の体が無いままでそんなことを言うなんて残酷すぎるから黙ってたんだ。さあ、行け。命令だ。聞けよ。」
「私はあんな悪党とは一緒には…」
「あそこまでしてくれちゃった奴を悪党だと?ちゃんと元に戻してもらってから文句言いな。あんたが生きてるのは誰かのおかげだと私は思ってきた。それが、私たちが捕まえようとしていたあいつらだったんだ。捕まえることと、あんたが助かることは、別の次元のことだろう?」
「ちょーーーっと違うね、全部、あたしのやったことだ!文句は絶対言わせねえ!黙ってついてこい!そうでなければ」ヨシが縄をトモエの、いや、みどりの体に放り投げて捕まえ、車に乗せた。「ちょっとこいつ借りるよ」「ムラキさん!ちょっと、私全然納得できな…」ヨシがガムテープでトモエの口だけを丁寧にふさぐ。「うるさいのは嫌いなんだ、黙ってな」
「バカ!一時間もこんな…」「これでも飲んで落ち着いてな」三人はトモエの屋敷にいた。ユキヒロは行きたがったが、ムラキという上司の権限で黙らせたらしい。
「ヨシ、病院に行ってこい。妹だと思っていたあの女の子はな、」
「みどりなんだろ?」
「ものわかりいいじゃねーか、随分今日はいい子で」
「これが終わったらさ、アキはどうするつもりなんだ?」
「…ヨシも来るか?あたしはもうここにはいられねー。」
古い機材を出して、アキはそれを、トモエに繋いだ。
ヨシは、病院から「みどり」の体を連れ持ち出してきた。「俺たちがやり合ったみどりっていうのは…」
「あれはカシが作った失敗作だ。本物はこっちさ…」
みどりの体をさしてそう言った。
「みどりはな、本来生きていなかったが電子の渦に巻き込まれる事故で一度命を失いかけて、あたしたちと同じ体になった。それから…色々あって生きるのを一度休みたいと言い出したんだ…」
「それで寝込んでたのか」 「いや、命と魂を置いて、ネットワークの中に意識と、不完全な記憶をしまいこんで、行ってしまったんだ。つまり、知らない相手じゃなかったんだ。ただ、あんな風に変わってしまったとは思いもしなかった。」
「みどりの身体だけが、正確に時を刻んでいたってことなのか?」
ヨシはふとそう言った。
「そうだ。ただ、みどりは私たちのうち一番年下だった。だから、今の私と同い年くらいの見た目になっているのさ」
「と、いうことはアキたちがコールドスリープにいたのは」
「金が無かったからね、たったの数年ってことだ」
「だから、強盗みたいなことをやりだしたのか」
「そうだよ。金がなきゃ、トモエやみどりを助けてやれないだろう?」
「アキは、そのためだけに…カシが嫉妬したのはもしかしたら、」
「そうなんだろうな。あたしがずっと気にしてたのはカシのことじゃなくて、トモエのことだったからな。」
「さて、さっさと病院行って来い…」
「できねーんだけど。生命装置とか、モニタリング取ってんの忘れたか?」
「あー…。」
「俺らが面会って形で行くしかないんだよ」
「ヨシ、トモエの縄を解け」
「わ、私…」トモエは髪を揺らして何か言おうとした。「オッケー。じゃ、行くんだな」「もち」ヨシは一言、トモエに付け加えた。「逃げたらタダじゃすまさねえからな。俺はお前のこと全然信用してねえんだ、悪いなあ」
「クルマに乗れ。悪いが、乗ってる間は手足の自由を制限させてもらう。」
「ヨシ…」
「アキにとっては大事な人物なんだろうが、これは無事に終わらせなくてはならないことだ。」
「あたしに口を出せるようになったんだな、いいことだ。」
ヨシはその発言に違和感を覚えたが、ここは無視しておくことにした。
流れる景色。
「病院は近くなんだ。すぐ着くさ…」
ヨシとアキは病院に着くなり、ずっとキーボードを叩いていた。もうやるべきことはひとつだけだけれど。
ことがすべて、終わってしまった時、トモエは涙を流した。忘れていた出来事が、全部目の前にあった。「みどりはもうこれで死んでしまった…」
「いいんだよ、みどりはな、"もう死んでたんだ"。それに、生きてるのが嫌だったんだ。生きていたい奴と生きていたくない奴が二人、揃ったからこんなことをしたのさ。生きていたくない奴の身体が役に立っただけのことだ。あたしはネットワークの中で不完全なみどりの残骸に再会して、間違ったことをやっていることはもうよくわかったから、もういいんだ。」
「アキ、あなたを恨めばいいのか、感謝すべきなのかわからない」
「…そんなの、自分で決めろよ。好きなようにすればいい。あたしはね、あんたに生きててほしかった。でも、あたしはもう元のあたしじゃない。あんたには同僚や上司がもういる。あたしたちはもうこの街からでていく。あんたは寿命を全うする。それだけで、もう充分だ」
アキは周囲の異変に気がついた。
「ヨシ!行くぞ!」
「もういいのか」
「ああ、いいんだよ。もういいんだ」
窓のそばにいるトモエの髪が少しだけ切り離されて飛んでいく。
「寿命、か、それとも、それがてめーらの正義か」
ヨシはゲートを開いた。そして、2人は肉体ごと、ネットワークに入り、少し遠くに置いてあったクルマに戻った。古い機材は捨てて。
トモエは、後ろからガラス窓を突き破ってきた銃弾に貫かれ、倒れた。意識を失い、そこに落ちていたマシンを拾ったのはムラキだった。
「正義っていうのはね、一滴の墨汁も紙に垂らして汚してはならないものなの。私を憎まないでね、これはもっと上の命令だから逆らったら死体が増えるだけなの」
ユキヒロは頷いて、トモエを電子化するための装置を装着させ、データを抜き取った。
無断欠勤は、許されない職業だとはわかっていた。しかし、トモエはずっと自宅に引きこもって調べては手を止めて、ということを繰り返していた。
「これは、どういうことなの…」
アキについて調べようと卒業アルバムを開くと、記憶にある幼少時の自分の顔と、今の自分の顔と、アルバムに載っている顔が、合わないのだった。
「わたしは…」
それに、確か病気を患っていたはずなのに、いつ治ったのかわからないのもこの時に気がついた。記憶がアテにならない。「この体は誰のものなの…?」この家には、口を利かない、仲のあまりよくない父の兄、叔父しかいない。昔からあまり話なんてしない相手だった。「こんなことを話したら頭がおかしくなったと思われるかも」
呼び鈴が鳴った。しかたなく出る。「トモエさん、急に休むなんて聞いてないっすよー、少しくらい頼ってください」いつもトモエを支えてくれるあの同僚の声だった。
携帯で彼は話し続けていた。「すいません、今トモエさんに事情だけでも聞こうと思ってますんで、終わったら戻ります。ええ、10時には」
トモエは静かに緑茶を出した。
彼は電話を切って、トモエに頭を下げた。
「無理矢理来てしまって、すいません。でも…こんなに大きなお屋敷にお住まいだとは思ってもみませんでした。道を聞くまでもなくわかりました。噂には聞いていましたので」
「そうね。…私、自分がすっかり分からなくなってしまったの」「どういうことですか?」「自分の記憶と、そこに転がっている記録が全然かみあわない。例えば…そうだね、私は子供の頃体が悪かったはずなのに、いつ治療が終わったのかわからないし、どうやってよくなったのかさえわからない、そんなところ。残念ながら祖父母も両親も今では死んでしまって、聞く相手がいないんだよね。そして、アキはこの近くに住んでいたはずなのに、仲がよかったような印象は残っているのに、私にはほとんどそういう感じがない」「それは、相手が悪党になってしまったからではないでしょうか」部下は言った。
「そうかもしれないけれど、私、アキが結婚した時に嫉妬したんだよね。でも、何で仲のいい相手でもないのに嫉妬なんか?そこまで関係ないはずだよね?」
「…本当は、仲がよかったのではないかと思っているんですよね、トモエさん」
「…ええ」
「彼女に直接コンタクトを取る意志はありますか」
「ユキヒロくんは、そうするべきだと思っているの」
「自分の記憶を疑うって、そういうことですよ。ただ、確かに矛盾していますね。仲のよい人間同士なら、同じ境遇じゃなくなる相手に嫉妬することも確かにあるでしょうが、トモエさんが仲もよくない人間に対して嫉妬するほど、結婚が重いものとも思いません」「そりゃこの歳にもなれば結婚したいとは思いますけど…ユキヒロくんもけっこう嫌なことを口に出すんだね」
「いいえ、むしろ元々仲がよかったはずの友人を取られたという意味での嫉妬の方が、ありえるんじゃないでしょうか」 トモエは不愉快さを必死で打ち消すかのように、「いや、だから」と何とか発言権を取り戻そうとした。
「とにかくここでいつまでも籠城している訳にもいかないでしょう。上も、トモエさんがネットワーク上で身軽に動けるほどの優秀さを持っているからこそ見逃してはいるものの、このままでは戻った時の立場が悪くなってしまいます。この一週間、トモエさんはずっとここにいたんですよね。何もせずに」
「そりゃ行動に移してさえいない悩みなんて放っておいて仕事しろっていうのもわからなくはないけれど」
「話を聞いてください」
「僕はね、トモエさんの体が他の人のものであることに気がついていたんですよ」
「どういうこと?」
「トモエさんは、自分の姿を見て何とも思いませんでしたか?トモエさんはネットワークに入ると、身長が高くなり、女性にしては…いえ、失礼な言い方ですね…とにかくかなり背が高くなるんですよ。おかしいと思いませんか。僕たちは普段見える姿を維持したまま、電子化されてネットワークに入るはずなんです。それなのに、トモエさんだけが、姿を変えて、そう、まるで別人のような姿に」
「…もういい、結論から言って頂戴」
「以前、広範囲にハッキングを行ったみどりという存在を覚えていらっしゃいますよね。ネットワークに入っていない今のトモエさんの姿は、ネットワーク上にいたみどりによく似ているんです。僕たちはほとんどネットワークに入ることは許されていませんから、ほとんど滲んだような画像しか見ることはできませんでしたが」
「つまり、私の体は」
「そのみどりのものだったのではないでしょうか。しかしこれは推測でしかありません」
トモエは自分の手を、体を見つめた。確かに、トモエはネットワーク上に入ると体が大柄になるが、今のトモエの体はとても小柄だ。こんな部署がなければ、この体では警察学校に入ることができなかっただろう。しかし、子供時代の身体測定のデータを見ると、今の自分の身長には小学生のうちに既に越えていることが、わかっている。縮むはずがない。これは以前から不思議に思っていたことだった。
「しかも、確かめるすべがひとつもない。電子化されたのか、プログラムされたあのみどりは、ネットワーク上で消えてしまったのだから。」
「しかし、電子化されたのであれば本来の"みどりさん"本人の体があるはずです。プログラムであれば、本当にただのプログラムでしかありません。どうやって確かめます?データベースに載っているかどうかは、やってみないとわかりませんが、今のトモエさんの立場ではできないことですよ」
トモエは席を立った。
「わかった、仕事に戻るよ」
「本当ですか?」
「ごめんなさい、今のままぼーっと考え事してても本当に無駄だって事がよくわかったから」
ユキヒロはいそいそと上司に電話をかけ、その間にトモエは自室に戻り準備した。そして、今の関係ではありえなかった、一枚の写真を最後に鞄のポケットへ入れた。
「申し訳ありません!」
「申し訳ないで済まないよ、どんな言い訳もここでは通用しない!」
トモエは頭を下げたまま固まっていた。ユキヒロは遠くから心配して見つめていた。上司は言った。
「だったら、さっさと仕事して頂戴。うちの子たちでは手に負えない小さなトラブルがけっこうあったんだからさ。…もう二度とこんなことしてくれるなよ?」大量のディスクの置かれたデスクを見て、何となくその言葉の意味を理解したトモエは、無言で「居場所」に戻った。
ユキヒロは人差し指を立てて笑顔で言った。「あのですね、手助けは僕の役目ですからね?」上司はそれを見て言った。 「そ、ちゃんと仲間を支えなさい、それがあんたたちの仕事」 トモエは申し訳なさそうに上司に頭を下げた。
「いいんだよー、ちゃんとした仕事してくれりゃあ、あんたの不思議なことも調べる手助けくらいしたって。あんたは有能だ。だから甘いこと言ってるくらいに思いな」
上司はトモエにウインクした。
小さな仕事をコツコツやる。それは基本だと、かつての上司が言っていた。その頃の上司は、今の上司ではなく、男性だった。
トモエは無言でその仕事を少しずつ、確実に、すべてを、片づけていた。
「少しくらい休みなさい、そうでないと」
「長く続かないってことですよね、以前、そう仰ってくださいました」
「…あんたさ、気づいてるのかな」
「え?」
「じーちゃんばーちゃんが亡くなってから、いや、あんたの両親が亡くなってからどのくらい経っているのか」
「どういうことですか?」
「あんたたちがコールドスリープから出る契約はたった数年前のことだったんだよね。記憶がおかしいっていうのは、以前から聞いていた。それがそんなにも大きなものになっているとは、こっちも驚きだ」
「ち、ちょっと、待ってください。私、冷凍保存されていたんですか?」
「スズキアキコという女性も同時に保存されていたが、先に出る契約になっていた」
「アキ?」
「スズキアキコは、どこかからかあんたの体を持ってきたような記録が残っているが、それはどうやら本当らしいね」
「アキが、彼女と私を冷凍保存にかけたってこと?」
「いや、契約者はあんたの父親になっている。」
「私とアキは…本当は仲のいい友達だったってこと?」「そーらしいね。申し訳ないけど、こっちもあんたのいない間に勝手に調べてたもんでね。…そういう関係の記憶が残ってないってことは、たぶん、あんた記憶いじられてる上に、」
「この体は、みどりのものなのね」
「それは、もうどうでもいいことだと思うけれど。しかしね、あんたの身軽さはあの"アキ"と同類なんだよね。そっちの方が大きな問題だよ。はっきり言って、どういう接点であれと一緒に寝かせられていたのか、そしてどういう理由で記憶を書き換えたのかわからないんだよね。」
地面から、ひどい揺れが押し寄せた。
「地震?!」
窓が突然開いて、外からアキが現れた。
「よう、あんたを取り返しに来た」
「これは、どういうことなの…」
アキについて調べようと卒業アルバムを開くと、記憶にある幼少時の自分の顔と、今の自分の顔と、アルバムに載っている顔が、合わないのだった。
「わたしは…」
それに、確か病気を患っていたはずなのに、いつ治ったのかわからないのもこの時に気がついた。記憶がアテにならない。「この体は誰のものなの…?」この家には、口を利かない、仲のあまりよくない父の兄、叔父しかいない。昔からあまり話なんてしない相手だった。「こんなことを話したら頭がおかしくなったと思われるかも」
呼び鈴が鳴った。しかたなく出る。「トモエさん、急に休むなんて聞いてないっすよー、少しくらい頼ってください」いつもトモエを支えてくれるあの同僚の声だった。
携帯で彼は話し続けていた。「すいません、今トモエさんに事情だけでも聞こうと思ってますんで、終わったら戻ります。ええ、10時には」
トモエは静かに緑茶を出した。
彼は電話を切って、トモエに頭を下げた。
「無理矢理来てしまって、すいません。でも…こんなに大きなお屋敷にお住まいだとは思ってもみませんでした。道を聞くまでもなくわかりました。噂には聞いていましたので」
「そうね。…私、自分がすっかり分からなくなってしまったの」「どういうことですか?」「自分の記憶と、そこに転がっている記録が全然かみあわない。例えば…そうだね、私は子供の頃体が悪かったはずなのに、いつ治療が終わったのかわからないし、どうやってよくなったのかさえわからない、そんなところ。残念ながら祖父母も両親も今では死んでしまって、聞く相手がいないんだよね。そして、アキはこの近くに住んでいたはずなのに、仲がよかったような印象は残っているのに、私にはほとんどそういう感じがない」「それは、相手が悪党になってしまったからではないでしょうか」部下は言った。
「そうかもしれないけれど、私、アキが結婚した時に嫉妬したんだよね。でも、何で仲のいい相手でもないのに嫉妬なんか?そこまで関係ないはずだよね?」
「…本当は、仲がよかったのではないかと思っているんですよね、トモエさん」
「…ええ」
「彼女に直接コンタクトを取る意志はありますか」
「ユキヒロくんは、そうするべきだと思っているの」
「自分の記憶を疑うって、そういうことですよ。ただ、確かに矛盾していますね。仲のよい人間同士なら、同じ境遇じゃなくなる相手に嫉妬することも確かにあるでしょうが、トモエさんが仲もよくない人間に対して嫉妬するほど、結婚が重いものとも思いません」「そりゃこの歳にもなれば結婚したいとは思いますけど…ユキヒロくんもけっこう嫌なことを口に出すんだね」
「いいえ、むしろ元々仲がよかったはずの友人を取られたという意味での嫉妬の方が、ありえるんじゃないでしょうか」 トモエは不愉快さを必死で打ち消すかのように、「いや、だから」と何とか発言権を取り戻そうとした。
「とにかくここでいつまでも籠城している訳にもいかないでしょう。上も、トモエさんがネットワーク上で身軽に動けるほどの優秀さを持っているからこそ見逃してはいるものの、このままでは戻った時の立場が悪くなってしまいます。この一週間、トモエさんはずっとここにいたんですよね。何もせずに」
「そりゃ行動に移してさえいない悩みなんて放っておいて仕事しろっていうのもわからなくはないけれど」
「話を聞いてください」
「僕はね、トモエさんの体が他の人のものであることに気がついていたんですよ」
「どういうこと?」
「トモエさんは、自分の姿を見て何とも思いませんでしたか?トモエさんはネットワークに入ると、身長が高くなり、女性にしては…いえ、失礼な言い方ですね…とにかくかなり背が高くなるんですよ。おかしいと思いませんか。僕たちは普段見える姿を維持したまま、電子化されてネットワークに入るはずなんです。それなのに、トモエさんだけが、姿を変えて、そう、まるで別人のような姿に」
「…もういい、結論から言って頂戴」
「以前、広範囲にハッキングを行ったみどりという存在を覚えていらっしゃいますよね。ネットワークに入っていない今のトモエさんの姿は、ネットワーク上にいたみどりによく似ているんです。僕たちはほとんどネットワークに入ることは許されていませんから、ほとんど滲んだような画像しか見ることはできませんでしたが」
「つまり、私の体は」
「そのみどりのものだったのではないでしょうか。しかしこれは推測でしかありません」
トモエは自分の手を、体を見つめた。確かに、トモエはネットワーク上に入ると体が大柄になるが、今のトモエの体はとても小柄だ。こんな部署がなければ、この体では警察学校に入ることができなかっただろう。しかし、子供時代の身体測定のデータを見ると、今の自分の身長には小学生のうちに既に越えていることが、わかっている。縮むはずがない。これは以前から不思議に思っていたことだった。
「しかも、確かめるすべがひとつもない。電子化されたのか、プログラムされたあのみどりは、ネットワーク上で消えてしまったのだから。」
「しかし、電子化されたのであれば本来の"みどりさん"本人の体があるはずです。プログラムであれば、本当にただのプログラムでしかありません。どうやって確かめます?データベースに載っているかどうかは、やってみないとわかりませんが、今のトモエさんの立場ではできないことですよ」
トモエは席を立った。
「わかった、仕事に戻るよ」
「本当ですか?」
「ごめんなさい、今のままぼーっと考え事してても本当に無駄だって事がよくわかったから」
ユキヒロはいそいそと上司に電話をかけ、その間にトモエは自室に戻り準備した。そして、今の関係ではありえなかった、一枚の写真を最後に鞄のポケットへ入れた。
「申し訳ありません!」
「申し訳ないで済まないよ、どんな言い訳もここでは通用しない!」
トモエは頭を下げたまま固まっていた。ユキヒロは遠くから心配して見つめていた。上司は言った。
「だったら、さっさと仕事して頂戴。うちの子たちでは手に負えない小さなトラブルがけっこうあったんだからさ。…もう二度とこんなことしてくれるなよ?」大量のディスクの置かれたデスクを見て、何となくその言葉の意味を理解したトモエは、無言で「居場所」に戻った。
ユキヒロは人差し指を立てて笑顔で言った。「あのですね、手助けは僕の役目ですからね?」上司はそれを見て言った。 「そ、ちゃんと仲間を支えなさい、それがあんたたちの仕事」 トモエは申し訳なさそうに上司に頭を下げた。
「いいんだよー、ちゃんとした仕事してくれりゃあ、あんたの不思議なことも調べる手助けくらいしたって。あんたは有能だ。だから甘いこと言ってるくらいに思いな」
上司はトモエにウインクした。
小さな仕事をコツコツやる。それは基本だと、かつての上司が言っていた。その頃の上司は、今の上司ではなく、男性だった。
トモエは無言でその仕事を少しずつ、確実に、すべてを、片づけていた。
「少しくらい休みなさい、そうでないと」
「長く続かないってことですよね、以前、そう仰ってくださいました」
「…あんたさ、気づいてるのかな」
「え?」
「じーちゃんばーちゃんが亡くなってから、いや、あんたの両親が亡くなってからどのくらい経っているのか」
「どういうことですか?」
「あんたたちがコールドスリープから出る契約はたった数年前のことだったんだよね。記憶がおかしいっていうのは、以前から聞いていた。それがそんなにも大きなものになっているとは、こっちも驚きだ」
「ち、ちょっと、待ってください。私、冷凍保存されていたんですか?」
「スズキアキコという女性も同時に保存されていたが、先に出る契約になっていた」
「アキ?」
「スズキアキコは、どこかからかあんたの体を持ってきたような記録が残っているが、それはどうやら本当らしいね」
「アキが、彼女と私を冷凍保存にかけたってこと?」
「いや、契約者はあんたの父親になっている。」
「私とアキは…本当は仲のいい友達だったってこと?」「そーらしいね。申し訳ないけど、こっちもあんたのいない間に勝手に調べてたもんでね。…そういう関係の記憶が残ってないってことは、たぶん、あんた記憶いじられてる上に、」
「この体は、みどりのものなのね」
「それは、もうどうでもいいことだと思うけれど。しかしね、あんたの身軽さはあの"アキ"と同類なんだよね。そっちの方が大きな問題だよ。はっきり言って、どういう接点であれと一緒に寝かせられていたのか、そしてどういう理由で記憶を書き換えたのかわからないんだよね。」
地面から、ひどい揺れが押し寄せた。
「地震?!」
窓が突然開いて、外からアキが現れた。
「よう、あんたを取り返しに来た」
「なんだよアキ、けっこう飲めるんだな」
「好き好んで飲まないだけだよ、体に悪いだろ?」
「けっこう健康志向なんだな」
「…まあね」
「今日はあの学校エリアのネットワークがダウンして、ひどい目にあったから飲んで帰って寝る!」紺のワンピースを着た、カウンターに座った二人組はそんなお喋りをしていた。アキはその横顔を見て驚いた。「トモエ…」隣の女性が気づく。
「あら、あなたトモエさんをご存知なの?よく似ているって言われていたわ」「今も充分そっくりだと思うけど」「まあ、なに?行方不明になったという話だし、きっともう言われないと思うわよ」「…亡くなったとかですか?」「いいえ、それが…よくわからないらしいのよね」そういえば、昨日のカシの件では顔を出していない。アキは驚いていた。
その女性ははっとしてアキを見つめた。「あなたは?」「いえ、ちょっと顔を合わせたことがあるだけの知人です」
「あの…」「これ以上は話せません。おい、行くぞ」「ん?なんだよ、もう一軒行くか?」「それでもいい。行くぞ」
カードで支払いを済ませ、二人は店を出た。「何なんだよ」ヨシは困惑して言った。「トモエがいなくなったらしい」「別に関係ないだろ?」ヨシはアキの首に腕を回したが、アキは静かに言った。「…まあ、今や関係ないのは間違いないんだけどさ」
「じゃ、もう一軒行っとくか!」首に回した腕をゆるめ、アキの肩に手を置いた威勢良くヨシは言い、アキは答えた。「ああ、行こうか」アキは無表情だった。
ヨシはもう一度、腕をしめつけてアキの頬に顔を近づけ、アキの髪を撫でた。「なんだよ!なあ、…あたしがYESと答えたり、NOと言ったら解散か?そういうもんか?」「そんなことねーよ」「だよな!」アキはいつものように、気の強い笑顔を見せるのだった。
夜は更けていく。風はもう冷たくなっていた。
「好き好んで飲まないだけだよ、体に悪いだろ?」
「けっこう健康志向なんだな」
「…まあね」
「今日はあの学校エリアのネットワークがダウンして、ひどい目にあったから飲んで帰って寝る!」紺のワンピースを着た、カウンターに座った二人組はそんなお喋りをしていた。アキはその横顔を見て驚いた。「トモエ…」隣の女性が気づく。
「あら、あなたトモエさんをご存知なの?よく似ているって言われていたわ」「今も充分そっくりだと思うけど」「まあ、なに?行方不明になったという話だし、きっともう言われないと思うわよ」「…亡くなったとかですか?」「いいえ、それが…よくわからないらしいのよね」そういえば、昨日のカシの件では顔を出していない。アキは驚いていた。
その女性ははっとしてアキを見つめた。「あなたは?」「いえ、ちょっと顔を合わせたことがあるだけの知人です」
「あの…」「これ以上は話せません。おい、行くぞ」「ん?なんだよ、もう一軒行くか?」「それでもいい。行くぞ」
カードで支払いを済ませ、二人は店を出た。「何なんだよ」ヨシは困惑して言った。「トモエがいなくなったらしい」「別に関係ないだろ?」ヨシはアキの首に腕を回したが、アキは静かに言った。「…まあ、今や関係ないのは間違いないんだけどさ」
「じゃ、もう一軒行っとくか!」首に回した腕をゆるめ、アキの肩に手を置いた威勢良くヨシは言い、アキは答えた。「ああ、行こうか」アキは無表情だった。
ヨシはもう一度、腕をしめつけてアキの頬に顔を近づけ、アキの髪を撫でた。「なんだよ!なあ、…あたしがYESと答えたり、NOと言ったら解散か?そういうもんか?」「そんなことねーよ」「だよな!」アキはいつものように、気の強い笑顔を見せるのだった。
夜は更けていく。風はもう冷たくなっていた。
「みどりが消えた…アキがやったんだな」その人は、アキの部屋に飾られていた写真に写っていた人物だった。「アキはよくできてる」「よく、昔の友人の残骸を処分できたもんだな」
「今はヨシという男と一緒にいるのか」
「取り戻したいところだ。俺のもんだ」
「なあ、アキ」「タカシという人物はネット上に俺らのようなヤツとしては何も残っていないよな。もっとよく調べてみるべきじゃねーかと思ってるんだけどさ」「あたしも調べてみるよ。あのクセが、知ってるヤツに似ているんだ」ヨシは真面目な顔になって、言った。「お前さ、何か黙ってることがあるよな」
「…知ったところで役に立たないことさ」「お前が海に潜ってる間に気付いた。お前の魂は命と別々になってるんじゃないのか」「…どういうことか言ってみな」「アキの命は、体に存在していて、魂とは別々になっているということだろう。アキは普通の人間ではないとは時々思ってはいたけどよ」ヨシは、アキを引き寄せて唇にキスし、続けた。
「それでもお前は生きている。実体のあるこの世界だけでも、ちゃんと生きている。みどりとは違ってな。」
「私たちの、新しいマシン…これで私たちはどれだけ動けるのかしらね」
「さあ、トモエさん、みどりの残骸が残っていないか探しましょう。あれだけの膨大なデータです、どこかに残っていてもおかしくはないのですから」
トモエは同僚に言われて、答えた。
「そうですね、できることから始めるしかない。私たちがどんなに遅れを取っても、追いつかなくてはなりません。やりましょう!」部下は新しいマシンに喜びの声を上げて画面に向かった。「…アキたちは今頃何をしているのかしらね」
ヨシとアキは2人でネットワークの中を泳いでいた。
「アキ」その声に振り向いた瞬間、ヨシは背中を刺されていた。
「ヨシ!」アキはヨシを抱きかかえて怒鳴った。
「何すんだ!」アキはそいつの顔を、見た。「…カシ」「…覚えていたんだね。そう、忘れられるはずがないよね…。さあ、アキ、僕と一緒に行こう」
アキの瞳は一瞬、揺らいだ。
「僕との思い出を忘れたのかい?冷たいなあ…」
アキはもう一度仕掛け銃を「水面に向けて」撃った。その瞬間、アキとヨシはネットワークの外に出ていた。
「おい、ヨシ、大丈夫か?」
「いてーな…ひどい奴と知り合いだな?何者だ?」
「正直に言おうか。あいつは」ヨシの背中を拭いて、絆創膏をあてがって続けた。「あたしの元彼さ」
「マジかよ?随分危険な人物を彼氏に選んだもんだな」
アキは炭酸水をボトルのまま飲みながら、あぐらをかいて座った。「けど、あれは本人じゃない。あいつは自分のコピーをネットワーク上に作ったことがある。そして、あたしも自分のコピーを作ったことがある。」
「お前は…どっちなんだ?オリジナルか?コピーか?」「オリジナルのあたしのデータはオリジナルのカシに殺された。データだけ壊れるように、ここ(頭を指で指して)に、無理矢理ウイルスを流し込んだ。そうすればその当時は殺人にはならなかった。まだそんな法律、できてなかったからさ。で、理由は周囲に人の集まる自分の彼女に嫉妬。オリジナルのカシはその後カラダごと自殺した。あたしはコピー。だけど」
ぐびぐび、と飲み干して、また続けた。
「あたしのプログラムは自分の魂といのちを受け入れられるように作ってあった。そして、元の体にあてがっておいた腕時計から」ヨシが続けた。「その中に入った、というわけか」
「そういうことさ」
「お前は、元、とはいえ、彼氏のコピーを殺せるのか?」アキは答えなかった。ヨシはアキを抱きしめた。
「馬鹿、しつこいよ」
ヨシはこの時、違和感を持った。
「アキ、お前何歳になった?」
「このコピーを作った時はまだ学生さ…」
ヨシは離れて言った。
「俺、犯罪者にはなりたくねーな」アキは笑って言った。
「あたしの仲間になってるんだから、十分、上等な犯罪者だよ…少なくとも倫理上は、あたしは嫌われ者さ」
ヨシは、この夜からアキの部屋に寝泊まりすることになった。
朝。
「あいつのデータ、どっかに残ってないか」
ヨシは頭をボリボリ掻きながら言った。
「どういうことだ?」
アキは顔を洗って、拭いていた。
「設計書だよ、設計書。何しろ人物をコピーするのに、大体の設計書もなしに作れるほどの天才はなかなかいないだろう」
「なるほどねー。確かに学校のデータの中に凍結されて眠ってるはず。あれ取ってくればーー」
「ダメだ」
「何でさ?」
「アキ自身が狙われてんだぞ。捜し物程度で危険にさらす訳にはいかないじゃねーか。クルマ使うぞ」
「めんどくせ」
「それに、みどりの時に周囲のネットワークをいくらか巻き添えにしてるから、今あの中に入り込むのはちょっと難しいんじゃないか」
「それもそうだな、しばらく修復プログラムが動いてるだろうし」
クルマを走らせて30分。
「あのさ、お前そんなにあたしを大事大事することねーじゃん」「何だよ、俺の命の恩人、そして俺の愛するお前の一大事じゃねーか」
アキは冷たい目でじっとヨシをにらんだ。
「…そんな大した奴じゃないよ、あたしは」
「あれがアキとあいつのいた学校だな?」
遠目にフェンスと正門が見える。
「そうだ」
「様子がおかしいと思わねーか。平日の午前中に教室が真っ暗ってこたぁないだろ」
「…なんだよ、閉校しちまったのかな」
アキは残念そうに言った。
「別行動はダメだ。特にヨシは体が失われたら最後だ。コピーは二度と作りたくねえ。同時に動くぞ」「わかってる」しばらくすると他の問題が見えてきた。「警備さえ切れてるぞ」ヨシはセキュリティを見ると、そう言った。
「あった。あいつのメモだ…なんだこりゃあ?あいつ…本当にいのちも魂も捨ててしまったんだな。確定だ」アキは失望していた。話し合って決着の付くようなものではないことを、アキは理解した。「どういうことだ?」
アキはヨシにかいつまんで説明した。
体に命が宿り、精神に魂が宿る。そして命と魂、体と精神は単純な関係とバランスを保って、「生存」することができる。アキは精神と思考をプログラムに乗せて人格とした。そしてその精神に魂そのものを宿らせたまま、命の半分を精神の中に、もう半分を体に閉じこめ、ふたつが合わさった時に「普通の人間」になることができる。電子世界を、ネットワークを他の人物より自由自在に動くことができるのは、ネットワークに自分を乗せた時、自身が半分の命を体に置いてきた分だけ「身軽」だから。普通は体だけを外に置いていくため、いのちと魂、そして精神と思考すべてをもって行かなくてはならない。…しかし、あの男は体と命を捨てて、精神をプログラムに乗せただけの存在になっていた。
「あいつは、ただのプログラムだ。コピーなんだよ。あたしへの執着を乗せただけのね。ネットワーク上にしか存在できないから、消すにはネットワークに入らなくてはならないし、命も魂も失っているから、みどりやあたしより素早い」「一人でやるってのか?危険じゃねーか」
「あたしはヨシの命の恩人なんだろ?じゃあ、あんたが死んだりしたら、無意味になっちまうじゃねえか」いつもの、気の強い顔でアキは笑った。
「ヨシ、クルマに戻るぞ」
ヨシは急に思い詰めた顔になって、「ああ」と頷いた。
アキは部屋に戻るなり、風呂に入って、髪も乾かさず寝てしまった。ヨシは、小型パソコンをネットにつなげることなく、あらゆるものを停止させるためのプログラムをひとつの弾丸に込めていた。
一通り終わると、ぐっすり眠っているアキのベッドに腰掛けて、アキにキスをした。「俺も、少し休むかな…」とソファに横になった。丸めてあった毛布を引っ張りだした。この日、ヨシは酒を飲まなかった。しかし、すぐまどろんでいた。寝付きはあまりいい方じゃないが、だるさをすぐに感じた。昼間は暑いとはいえ、朝夕は既に冷たい風が吹いている。
アキは、学生時代に自分の命と魂を受け入れる器、つまり精神プログラムを組んでいた。荒っぽい割に、時々子供っぽいのはそのせいなんだろうか。魂は、その頃以降の記憶を受け入れているのではないのだろうか。アキは、見た目は十分25歳以降の人間に見えるが、精神と魂は正確にその時を刻んでいるんだろうか…ここまで考えているうちに、ヨシもすっかり寝入ってしまっていた。
何かから逃げるヨシともう一人の姿。ヨシは今より幾分か幼い。それを見つめるアキの姿。同じように、今より少しだけ幼く、髪も少し短い。アキは一瞬だけ動きを止めた「何か」に照準を合わせ、弾丸をぶっ放し、その「何か」を打ち抜いた。アキはその「何か」が人間の姿になり、その人が気がつくと、ヨシとその人物との間に立ち、「さあ、有り金全部出しな、さもなければ、このままアンタを殺してやるよ。放っておけばアンタも寄生虫に殺されてたんだ」その人物はおどおどしながら、現金を少しと電子マネーのカードを出した。その人物に「これを食いな」と言って、アキは記憶を消去するチョコレートを渡した。後ろで立ちすくんでいたヨシは、「俺は、どうしたらいい?」アキはヨシをにらんで言った。「へえ、何も言われていないのに何かを差し出すってか…いい心がけだな?こっちは人手が足りない。有り金全部あたしに渡すか、それとも、あたしの仲間にーー」「なる。それで構わない」
夢はまだ続く。眠りから醒めないヨシの妹の姿。一体、意識はどこに行ってしまったのか、誰も解明できない。そんな事件は、これまでも数件報告されていた。三年経ち、四年経ち、ヨシはもう病院に任せるだけにしていた。まるで、死んでしまった無関係な他人であるかのように…。
遮光カーテンの間からこぼれる強い光に、ヨシは目を覚ました。「…アキ、そろそろ起きよう」か、と言おうとした時、ヨシは初めて、アキに置いて行かれたことに気がついた。アキの身体がそこにあった。「アキ!」パソコンデスクの椅子が倒れている。アキの身体をベッドに戻した後、アキは一人でネットワークの中に入ってしまったことを瞬時に悟り、勢いよく起きると、ローテーブルにメモとディスクがあった。
その2枚のディスクには、「delete」「stop the network」と書かれていた。メモには、「13時には目覚ましをセットしておいたけど、起きたらディスクの中身をチェックしろ ヨシはネットワークには入るな、ただし状況のチェックはしてあたしをフォローするように。これは命令だ、守れよ アキ」と雑に書かれていた。妙に早く寝てしまったアキは、自分が寝ついたすぐ後に起きてパソコンを開いてまとまったプログラムを作りあげ、ネットワークに潜ったのかもしれない。足下のゴミ箱をふと見ると、弱い安定剤のシートが入っていた。「…やられたな。アキ、俺にこれを飲ませたんだな。まったくそれにしたって無駄にしちゃダメだろうが」残りの錠剤の入ったシートをテーブルの上に置いた。
ヨシは時計を確認した。11時。命令の時間にはあと2時間余裕がある。ディスクの中身を確認するには十分だ。しかしディスクの中身をスタンドアローン用のマシンで見た時、ヨシは愕然とした。「アキはあいつを殺すつもりだ…アキは…それでいいのか?」アキはかつて愛したであろう男を殺すのか。しかし、アキは昨日言っていた。コピーだと。「あたしへの執着を乗せただけのね」と。ヨシは心を決めた。「構わねえ、アキがいいんだって言うんだから、後悔も何もねえんだろう」。
「ちっくしょう!カシはどこにいやがるんだ?」ネットワーク上にしか存在できない男なのだから、アキがこの中にいること自体は把握しているはずだった。通信が入る。「アキ、カシはあの学校のネットワークを潰してそこに隠れている」「あれ?ヨシ、起きんの早かったな…そういうことか!ここにくる前に確認したところとは違うところに移動したんだな」「アキ、俺は全力でお前を」「フォローしろよな!」「もちろん!」アキは母校のネットワークの、そのまた中心へと泳ぎ始めた。
「やあ、アキ。僕のところに戻ってきてくれたんだね?」「ええ、ちょっとした用があってね」
冷めた表情でカシに対峙するアキ。
「今のカシにはもう魂も、命もない。ただのデータの固まりで、アンタの抱く感情はただのプログラムだよ」
「ひどいことを言うもんだね…僕の感情は本物だよ?あんなに荒っぽくて品のない男と一緒にいるなんて、君らしくないよ、君は僕といるべきだ」
「アンタはもう生きていないんだ!せめてあたしが弔ってやるよ」
アキは銃を構えた。中にはヨシの作ったプログラムが数個入っている。彼のすべてを「null」にするための。しかし、それは効かなかった。
「僕が君の魂と命を捨ててあげる。そうすればもう君は外の世界に戻れない」
「アキ!」ヨシはディスクを回し、弾丸をアキに送った。
「あんたは、自分の魂すら受け取れない単体プログラムの塊なんだよ」
カシは、アキの魂に触れることができず、慌てふためいていた。
「何故だ?!」
「あんたって本当に愚かだよな。本物のカシが自殺しなかったなら…こんなことにはならなかっただろうな。」
アキは銃弾を撃ちまくった。
「アキ…僕をそんなに嫌いなのかい?」
アキは黙って、銃を向けた。最後の一発が、ヨシの送ってくれた貴重な弾丸だった。
アキは、「ごめんよ。あたしは今生きてるし、そもそもそこにいるあんたは死んでたんだ。あんたご本人はあたしを完全に死なせたと思いこんで、あたしを置いて死んでしまったじゃねーか」カシのプログラムのかけらは、それでもアキの髪を撫でて、そしてフワフワと消えていった。アキの身体にヨシの投げた縄が巻き付いた。
「あんた学生の時は本当にいい奴だったと思うよ」
「それなら、僕と一緒にいてよ」縄の巻き付いたアキが水面に届く前にあの男のコピーが、うっすらと消えかけた手を伸ばし、アキに向かった。ヨシは渾身の力を込めて縄を引っ張った。アキはカシムラに最後の銃弾を放ち、水面からアキが飛び出る。
いつの間にか接続していたディスクを、ヨシは回した。ディスクのばらまいたデータで、学校のネットワークはダウンした。回復するには時間がかかるだろう。
アキとヨシは、母校のネットワークから脱出し、アキの部屋にいた。
「おい、もう終わったんだ。飲みに行こう。俺が払う」「そうだな」
もう、日は傾いていた。
「今はヨシという男と一緒にいるのか」
「取り戻したいところだ。俺のもんだ」
「なあ、アキ」「タカシという人物はネット上に俺らのようなヤツとしては何も残っていないよな。もっとよく調べてみるべきじゃねーかと思ってるんだけどさ」「あたしも調べてみるよ。あのクセが、知ってるヤツに似ているんだ」ヨシは真面目な顔になって、言った。「お前さ、何か黙ってることがあるよな」
「…知ったところで役に立たないことさ」「お前が海に潜ってる間に気付いた。お前の魂は命と別々になってるんじゃないのか」「…どういうことか言ってみな」「アキの命は、体に存在していて、魂とは別々になっているということだろう。アキは普通の人間ではないとは時々思ってはいたけどよ」ヨシは、アキを引き寄せて唇にキスし、続けた。
「それでもお前は生きている。実体のあるこの世界だけでも、ちゃんと生きている。みどりとは違ってな。」
「私たちの、新しいマシン…これで私たちはどれだけ動けるのかしらね」
「さあ、トモエさん、みどりの残骸が残っていないか探しましょう。あれだけの膨大なデータです、どこかに残っていてもおかしくはないのですから」
トモエは同僚に言われて、答えた。
「そうですね、できることから始めるしかない。私たちがどんなに遅れを取っても、追いつかなくてはなりません。やりましょう!」部下は新しいマシンに喜びの声を上げて画面に向かった。「…アキたちは今頃何をしているのかしらね」
ヨシとアキは2人でネットワークの中を泳いでいた。
「アキ」その声に振り向いた瞬間、ヨシは背中を刺されていた。
「ヨシ!」アキはヨシを抱きかかえて怒鳴った。
「何すんだ!」アキはそいつの顔を、見た。「…カシ」「…覚えていたんだね。そう、忘れられるはずがないよね…。さあ、アキ、僕と一緒に行こう」
アキの瞳は一瞬、揺らいだ。
「僕との思い出を忘れたのかい?冷たいなあ…」
アキはもう一度仕掛け銃を「水面に向けて」撃った。その瞬間、アキとヨシはネットワークの外に出ていた。
「おい、ヨシ、大丈夫か?」
「いてーな…ひどい奴と知り合いだな?何者だ?」
「正直に言おうか。あいつは」ヨシの背中を拭いて、絆創膏をあてがって続けた。「あたしの元彼さ」
「マジかよ?随分危険な人物を彼氏に選んだもんだな」
アキは炭酸水をボトルのまま飲みながら、あぐらをかいて座った。「けど、あれは本人じゃない。あいつは自分のコピーをネットワーク上に作ったことがある。そして、あたしも自分のコピーを作ったことがある。」
「お前は…どっちなんだ?オリジナルか?コピーか?」「オリジナルのあたしのデータはオリジナルのカシに殺された。データだけ壊れるように、ここ(頭を指で指して)に、無理矢理ウイルスを流し込んだ。そうすればその当時は殺人にはならなかった。まだそんな法律、できてなかったからさ。で、理由は周囲に人の集まる自分の彼女に嫉妬。オリジナルのカシはその後カラダごと自殺した。あたしはコピー。だけど」
ぐびぐび、と飲み干して、また続けた。
「あたしのプログラムは自分の魂といのちを受け入れられるように作ってあった。そして、元の体にあてがっておいた腕時計から」ヨシが続けた。「その中に入った、というわけか」
「そういうことさ」
「お前は、元、とはいえ、彼氏のコピーを殺せるのか?」アキは答えなかった。ヨシはアキを抱きしめた。
「馬鹿、しつこいよ」
ヨシはこの時、違和感を持った。
「アキ、お前何歳になった?」
「このコピーを作った時はまだ学生さ…」
ヨシは離れて言った。
「俺、犯罪者にはなりたくねーな」アキは笑って言った。
「あたしの仲間になってるんだから、十分、上等な犯罪者だよ…少なくとも倫理上は、あたしは嫌われ者さ」
ヨシは、この夜からアキの部屋に寝泊まりすることになった。
朝。
「あいつのデータ、どっかに残ってないか」
ヨシは頭をボリボリ掻きながら言った。
「どういうことだ?」
アキは顔を洗って、拭いていた。
「設計書だよ、設計書。何しろ人物をコピーするのに、大体の設計書もなしに作れるほどの天才はなかなかいないだろう」
「なるほどねー。確かに学校のデータの中に凍結されて眠ってるはず。あれ取ってくればーー」
「ダメだ」
「何でさ?」
「アキ自身が狙われてんだぞ。捜し物程度で危険にさらす訳にはいかないじゃねーか。クルマ使うぞ」
「めんどくせ」
「それに、みどりの時に周囲のネットワークをいくらか巻き添えにしてるから、今あの中に入り込むのはちょっと難しいんじゃないか」
「それもそうだな、しばらく修復プログラムが動いてるだろうし」
クルマを走らせて30分。
「あのさ、お前そんなにあたしを大事大事することねーじゃん」「何だよ、俺の命の恩人、そして俺の愛するお前の一大事じゃねーか」
アキは冷たい目でじっとヨシをにらんだ。
「…そんな大した奴じゃないよ、あたしは」
「あれがアキとあいつのいた学校だな?」
遠目にフェンスと正門が見える。
「そうだ」
「様子がおかしいと思わねーか。平日の午前中に教室が真っ暗ってこたぁないだろ」
「…なんだよ、閉校しちまったのかな」
アキは残念そうに言った。
「別行動はダメだ。特にヨシは体が失われたら最後だ。コピーは二度と作りたくねえ。同時に動くぞ」「わかってる」しばらくすると他の問題が見えてきた。「警備さえ切れてるぞ」ヨシはセキュリティを見ると、そう言った。
「あった。あいつのメモだ…なんだこりゃあ?あいつ…本当にいのちも魂も捨ててしまったんだな。確定だ」アキは失望していた。話し合って決着の付くようなものではないことを、アキは理解した。「どういうことだ?」
アキはヨシにかいつまんで説明した。
体に命が宿り、精神に魂が宿る。そして命と魂、体と精神は単純な関係とバランスを保って、「生存」することができる。アキは精神と思考をプログラムに乗せて人格とした。そしてその精神に魂そのものを宿らせたまま、命の半分を精神の中に、もう半分を体に閉じこめ、ふたつが合わさった時に「普通の人間」になることができる。電子世界を、ネットワークを他の人物より自由自在に動くことができるのは、ネットワークに自分を乗せた時、自身が半分の命を体に置いてきた分だけ「身軽」だから。普通は体だけを外に置いていくため、いのちと魂、そして精神と思考すべてをもって行かなくてはならない。…しかし、あの男は体と命を捨てて、精神をプログラムに乗せただけの存在になっていた。
「あいつは、ただのプログラムだ。コピーなんだよ。あたしへの執着を乗せただけのね。ネットワーク上にしか存在できないから、消すにはネットワークに入らなくてはならないし、命も魂も失っているから、みどりやあたしより素早い」「一人でやるってのか?危険じゃねーか」
「あたしはヨシの命の恩人なんだろ?じゃあ、あんたが死んだりしたら、無意味になっちまうじゃねえか」いつもの、気の強い顔でアキは笑った。
「ヨシ、クルマに戻るぞ」
ヨシは急に思い詰めた顔になって、「ああ」と頷いた。
アキは部屋に戻るなり、風呂に入って、髪も乾かさず寝てしまった。ヨシは、小型パソコンをネットにつなげることなく、あらゆるものを停止させるためのプログラムをひとつの弾丸に込めていた。
一通り終わると、ぐっすり眠っているアキのベッドに腰掛けて、アキにキスをした。「俺も、少し休むかな…」とソファに横になった。丸めてあった毛布を引っ張りだした。この日、ヨシは酒を飲まなかった。しかし、すぐまどろんでいた。寝付きはあまりいい方じゃないが、だるさをすぐに感じた。昼間は暑いとはいえ、朝夕は既に冷たい風が吹いている。
アキは、学生時代に自分の命と魂を受け入れる器、つまり精神プログラムを組んでいた。荒っぽい割に、時々子供っぽいのはそのせいなんだろうか。魂は、その頃以降の記憶を受け入れているのではないのだろうか。アキは、見た目は十分25歳以降の人間に見えるが、精神と魂は正確にその時を刻んでいるんだろうか…ここまで考えているうちに、ヨシもすっかり寝入ってしまっていた。
何かから逃げるヨシともう一人の姿。ヨシは今より幾分か幼い。それを見つめるアキの姿。同じように、今より少しだけ幼く、髪も少し短い。アキは一瞬だけ動きを止めた「何か」に照準を合わせ、弾丸をぶっ放し、その「何か」を打ち抜いた。アキはその「何か」が人間の姿になり、その人が気がつくと、ヨシとその人物との間に立ち、「さあ、有り金全部出しな、さもなければ、このままアンタを殺してやるよ。放っておけばアンタも寄生虫に殺されてたんだ」その人物はおどおどしながら、現金を少しと電子マネーのカードを出した。その人物に「これを食いな」と言って、アキは記憶を消去するチョコレートを渡した。後ろで立ちすくんでいたヨシは、「俺は、どうしたらいい?」アキはヨシをにらんで言った。「へえ、何も言われていないのに何かを差し出すってか…いい心がけだな?こっちは人手が足りない。有り金全部あたしに渡すか、それとも、あたしの仲間にーー」「なる。それで構わない」
夢はまだ続く。眠りから醒めないヨシの妹の姿。一体、意識はどこに行ってしまったのか、誰も解明できない。そんな事件は、これまでも数件報告されていた。三年経ち、四年経ち、ヨシはもう病院に任せるだけにしていた。まるで、死んでしまった無関係な他人であるかのように…。
遮光カーテンの間からこぼれる強い光に、ヨシは目を覚ました。「…アキ、そろそろ起きよう」か、と言おうとした時、ヨシは初めて、アキに置いて行かれたことに気がついた。アキの身体がそこにあった。「アキ!」パソコンデスクの椅子が倒れている。アキの身体をベッドに戻した後、アキは一人でネットワークの中に入ってしまったことを瞬時に悟り、勢いよく起きると、ローテーブルにメモとディスクがあった。
その2枚のディスクには、「delete」「stop the network」と書かれていた。メモには、「13時には目覚ましをセットしておいたけど、起きたらディスクの中身をチェックしろ ヨシはネットワークには入るな、ただし状況のチェックはしてあたしをフォローするように。これは命令だ、守れよ アキ」と雑に書かれていた。妙に早く寝てしまったアキは、自分が寝ついたすぐ後に起きてパソコンを開いてまとまったプログラムを作りあげ、ネットワークに潜ったのかもしれない。足下のゴミ箱をふと見ると、弱い安定剤のシートが入っていた。「…やられたな。アキ、俺にこれを飲ませたんだな。まったくそれにしたって無駄にしちゃダメだろうが」残りの錠剤の入ったシートをテーブルの上に置いた。
ヨシは時計を確認した。11時。命令の時間にはあと2時間余裕がある。ディスクの中身を確認するには十分だ。しかしディスクの中身をスタンドアローン用のマシンで見た時、ヨシは愕然とした。「アキはあいつを殺すつもりだ…アキは…それでいいのか?」アキはかつて愛したであろう男を殺すのか。しかし、アキは昨日言っていた。コピーだと。「あたしへの執着を乗せただけのね」と。ヨシは心を決めた。「構わねえ、アキがいいんだって言うんだから、後悔も何もねえんだろう」。
「ちっくしょう!カシはどこにいやがるんだ?」ネットワーク上にしか存在できない男なのだから、アキがこの中にいること自体は把握しているはずだった。通信が入る。「アキ、カシはあの学校のネットワークを潰してそこに隠れている」「あれ?ヨシ、起きんの早かったな…そういうことか!ここにくる前に確認したところとは違うところに移動したんだな」「アキ、俺は全力でお前を」「フォローしろよな!」「もちろん!」アキは母校のネットワークの、そのまた中心へと泳ぎ始めた。
「やあ、アキ。僕のところに戻ってきてくれたんだね?」「ええ、ちょっとした用があってね」
冷めた表情でカシに対峙するアキ。
「今のカシにはもう魂も、命もない。ただのデータの固まりで、アンタの抱く感情はただのプログラムだよ」
「ひどいことを言うもんだね…僕の感情は本物だよ?あんなに荒っぽくて品のない男と一緒にいるなんて、君らしくないよ、君は僕といるべきだ」
「アンタはもう生きていないんだ!せめてあたしが弔ってやるよ」
アキは銃を構えた。中にはヨシの作ったプログラムが数個入っている。彼のすべてを「null」にするための。しかし、それは効かなかった。
「僕が君の魂と命を捨ててあげる。そうすればもう君は外の世界に戻れない」
「アキ!」ヨシはディスクを回し、弾丸をアキに送った。
「あんたは、自分の魂すら受け取れない単体プログラムの塊なんだよ」
カシは、アキの魂に触れることができず、慌てふためいていた。
「何故だ?!」
「あんたって本当に愚かだよな。本物のカシが自殺しなかったなら…こんなことにはならなかっただろうな。」
アキは銃弾を撃ちまくった。
「アキ…僕をそんなに嫌いなのかい?」
アキは黙って、銃を向けた。最後の一発が、ヨシの送ってくれた貴重な弾丸だった。
アキは、「ごめんよ。あたしは今生きてるし、そもそもそこにいるあんたは死んでたんだ。あんたご本人はあたしを完全に死なせたと思いこんで、あたしを置いて死んでしまったじゃねーか」カシのプログラムのかけらは、それでもアキの髪を撫でて、そしてフワフワと消えていった。アキの身体にヨシの投げた縄が巻き付いた。
「あんた学生の時は本当にいい奴だったと思うよ」
「それなら、僕と一緒にいてよ」縄の巻き付いたアキが水面に届く前にあの男のコピーが、うっすらと消えかけた手を伸ばし、アキに向かった。ヨシは渾身の力を込めて縄を引っ張った。アキはカシムラに最後の銃弾を放ち、水面からアキが飛び出る。
いつの間にか接続していたディスクを、ヨシは回した。ディスクのばらまいたデータで、学校のネットワークはダウンした。回復するには時間がかかるだろう。
アキとヨシは、母校のネットワークから脱出し、アキの部屋にいた。
「おい、もう終わったんだ。飲みに行こう。俺が払う」「そうだな」
もう、日は傾いていた。
「アキ!みどりが!」ヨシが慌てた顔でクルマに乗って部屋の前に来ていた。
「今度は何だよ!」
「いねえ!」
アキは呆れた顔をした後、アキは怒った。「ふざけんな馬鹿!ちゃんと見張ってろって言ったじゃん!」 「しかたねーよ、寝てたからさ」アキは感づいていた。「ネット上のみどり本体が、お迎えにあがったか?」
「わたくしの一部をよくも奪い取ったわね」「あのふたりを見つけてくれるなんてこれっぽっちも思っていなかったのよ」ネットワーク上にこぼれ落ちた何かをつたって、分離されたみどりを、みどり本体が奪い返しに来たのだった。それは、夜中、ヨシが眠っている間に起こったことだった。
既に街全体はハックされているようだった。シンと静まり返っていて、なにも音がしない。「しょうがねえな…行くか、ヨシ」「ちょっと待ってくれ、先に説明したい」ヨシはアキをひきとめた。「あの分離したみどりは、完全に本体に同化したのかねえ。調べた限りでは、本体の中にちゃんとした人格がいないと維持が難しいタイプだな。だからあの分離したみどりを探し回ってたって訳だ」細々とヨシが語る。「ってことは、やっぱりあの分離したみどりが核だったってことか」アキは納得した。「あのみどりの核を中に閉じこめたまま消さなくてはこっちが危ない。難しいぞ、やるのか?」「あっちから、来るだろう。その時を待っても構わねー。ただし、ヨシ、お前は中に入るな。あいつの本体は…お前に恨みを抱いているはずだ。核をこの部屋に閉じこめていたことが分かれば、ヨシを狙うはず。ヨシは部屋にいて、ネットワーク空間の前にちゃんとファイアウォールを置いておかないと、延焼するだろ?」「アキが出られなくなるじゃねーか!」アキは笑顔を見せ、「何とかするさ」と言った。「それは…自分を守るためか?俺のためか?」「あたしなら可能だから、さ」
「やっぱり、みどりを仲間に引き込んで悪用するつもりだったんだ!アキは私たちの敵そのもの」トモエは仲間を集め、警察上層部の同意を得た。しかし問題はマシンだった。「このままでは我々ネットワーク警察の存在価値に問題が発生する。我々がマシンを準備する。待機するように」トモエは心から喜んでいた。
ネットワーク上にあるあらゆるモノを崩しつつ、ヨシのところにつながるアドレスに接続しようとしたみどりは、目の前に赤い塊があることに気づいた。「それ」はみどりの中に入り込んだ。アキはみどりの「核」が分離したまま中に入っていることに気がついた。「道理で、ヨシはあいつの状況がわかるはずだ。よくやるよ」
「よう、みどり、本体を制御できなくなってるんだな?」「ええ、困ったことですわ」「しかたねーな、この本体を」「外側からわたくしごと消して頂戴」「核であるお前がいないと、この本体は維持できそうにないらしいな…それで構わないのか?」「あなたは私と違って完全な魂を持っている。わたくしの魂は不完全なことに、もう気がついてはいたのです。この中でプログラムを消したら、アキ、あなた自身も消えてしまう可能性が高いのよ。もちろん、ヨシもそう。ふたりはわたくしの壁をはずした後、外から攻撃して頂戴」
「おい!邪魔が入りそうだ!さっさと指示をくれ、アキ!」
「ヨシ、わかった。みどりの防御を解いてくれ」
「そうしたら、核は本体に飲み込まれるぞ」
「本人が、やってくれと言っている」ヨシの縄が、アキの体に巻き付く。
「ヨシ?!あたしは自分で」みどりがアキを遮った。
「いいかしら?わたくしが消えたら、忘れなさい。自分の身を守りなさい、アキはわたくしのこと知ってるんでしょう?もう一人の名前は、アキだったんでしょう?」みどりの核は、笑顔で、引き離されていくアキを見送った。
「何考えてんだみどり、自分の全部を消す気か?!」
「アキ!俺がやるからおとなしくしててくれ!」
「ヨシ、やめろ!復元もできなくなる!」
ヨシはアキを捕らえた縄を水面から引き上げた後、エンターキーを二回押しプログラムを打ち込んだ。
「みどり!」アキは叫んだ。みどりはボロボロと崩れていく。整然と並べられた記号になり、それがふわふわと広がって、溶けていく。
「アキ、みどりにはな、体も、命も、魂すら無かったんだからしかたがないんだ。ただあそこにあったのは人格だ。誰かがコピーしたのか、作り直したのかはわからなかったけどな。それに、自分のことは自分でケリをつけるしか…」ヨシは既に分かっていることを言った。
「それは、あたしも同じだ」
「…同じ、とはどういうことだ?」
アキは余計なことだ、と何も言わなかった。
トモエは巻き込まれたその状況がわからず、ただどうしようもないことがあることを理解した。
「次のチャンスがあるって」
「わ、わかってる。ありがとう」
同僚の慰めに、気丈に振る舞うトモエ。
しかし、アキたちが敵なのか味方なのかわからなくなってしまっていた。
そこに、上司が現れ、トモエは席を外すよう言われたため、トモエは「先に帰ります、明後日戻ります」と言ってその場を離れた。
「あの子がネットワークに入った時、気付いたことがあったでしょう」
「ええ、みどりは幼い子供の姿でしたが、トモエさんの現実での姿はまるで成長したみどりの姿です。でもまさか、関係があるということなのでしょうか」
「わかんねーな」
ヨシはいつもの通り、酒を飲みながら考えていた。しかし、ヨシは何となく、不可解な何かに一瞬触れたような気がしたのだった。
「…みどりには人格というものが確かにあったが、精神とかそういうものはあったんだろうか」
体が既に失われながら電子世界に存在していたみどり。彼女には、「いのち」があったのか。それは、ヨシには到底理解の及ばないものだった。
「それにしても不自然だな…アキは」そう、ヨシは思い出していた。アキは自分と同じ条件の中で電子の海に潜ったはずだった。だが、アキは自分よりもスムーズに電子の海の中を泳いでいた。場数をこなしていたから、というものではないような気が、ヨシにはしていた。あの素早さはどこから可能なことになるのか。
それに、その時に、アキの魂の存在をちゃんと感じたはずだった。しかし、みどりに出会った時に感じた、生身の人間ではないその存在感に似たものがあった。「アキはふつうの人間ではないのか?」ヨシの考えを更に覆す、その疑問に答えられる人は、彼女自身以外にはいないように思われた。しかし、直接尋ねたところで、
「たぶん答えちゃくれねーんだろうな」
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「今度は何だよ!」
「いねえ!」
アキは呆れた顔をした後、アキは怒った。「ふざけんな馬鹿!ちゃんと見張ってろって言ったじゃん!」 「しかたねーよ、寝てたからさ」アキは感づいていた。「ネット上のみどり本体が、お迎えにあがったか?」
「わたくしの一部をよくも奪い取ったわね」「あのふたりを見つけてくれるなんてこれっぽっちも思っていなかったのよ」ネットワーク上にこぼれ落ちた何かをつたって、分離されたみどりを、みどり本体が奪い返しに来たのだった。それは、夜中、ヨシが眠っている間に起こったことだった。
既に街全体はハックされているようだった。シンと静まり返っていて、なにも音がしない。「しょうがねえな…行くか、ヨシ」「ちょっと待ってくれ、先に説明したい」ヨシはアキをひきとめた。「あの分離したみどりは、完全に本体に同化したのかねえ。調べた限りでは、本体の中にちゃんとした人格がいないと維持が難しいタイプだな。だからあの分離したみどりを探し回ってたって訳だ」細々とヨシが語る。「ってことは、やっぱりあの分離したみどりが核だったってことか」アキは納得した。「あのみどりの核を中に閉じこめたまま消さなくてはこっちが危ない。難しいぞ、やるのか?」「あっちから、来るだろう。その時を待っても構わねー。ただし、ヨシ、お前は中に入るな。あいつの本体は…お前に恨みを抱いているはずだ。核をこの部屋に閉じこめていたことが分かれば、ヨシを狙うはず。ヨシは部屋にいて、ネットワーク空間の前にちゃんとファイアウォールを置いておかないと、延焼するだろ?」「アキが出られなくなるじゃねーか!」アキは笑顔を見せ、「何とかするさ」と言った。「それは…自分を守るためか?俺のためか?」「あたしなら可能だから、さ」
「やっぱり、みどりを仲間に引き込んで悪用するつもりだったんだ!アキは私たちの敵そのもの」トモエは仲間を集め、警察上層部の同意を得た。しかし問題はマシンだった。「このままでは我々ネットワーク警察の存在価値に問題が発生する。我々がマシンを準備する。待機するように」トモエは心から喜んでいた。
ネットワーク上にあるあらゆるモノを崩しつつ、ヨシのところにつながるアドレスに接続しようとしたみどりは、目の前に赤い塊があることに気づいた。「それ」はみどりの中に入り込んだ。アキはみどりの「核」が分離したまま中に入っていることに気がついた。「道理で、ヨシはあいつの状況がわかるはずだ。よくやるよ」
「よう、みどり、本体を制御できなくなってるんだな?」「ええ、困ったことですわ」「しかたねーな、この本体を」「外側からわたくしごと消して頂戴」「核であるお前がいないと、この本体は維持できそうにないらしいな…それで構わないのか?」「あなたは私と違って完全な魂を持っている。わたくしの魂は不完全なことに、もう気がついてはいたのです。この中でプログラムを消したら、アキ、あなた自身も消えてしまう可能性が高いのよ。もちろん、ヨシもそう。ふたりはわたくしの壁をはずした後、外から攻撃して頂戴」
「おい!邪魔が入りそうだ!さっさと指示をくれ、アキ!」
「ヨシ、わかった。みどりの防御を解いてくれ」
「そうしたら、核は本体に飲み込まれるぞ」
「本人が、やってくれと言っている」ヨシの縄が、アキの体に巻き付く。
「ヨシ?!あたしは自分で」みどりがアキを遮った。
「いいかしら?わたくしが消えたら、忘れなさい。自分の身を守りなさい、アキはわたくしのこと知ってるんでしょう?もう一人の名前は、アキだったんでしょう?」みどりの核は、笑顔で、引き離されていくアキを見送った。
「何考えてんだみどり、自分の全部を消す気か?!」
「アキ!俺がやるからおとなしくしててくれ!」
「ヨシ、やめろ!復元もできなくなる!」
ヨシはアキを捕らえた縄を水面から引き上げた後、エンターキーを二回押しプログラムを打ち込んだ。
「みどり!」アキは叫んだ。みどりはボロボロと崩れていく。整然と並べられた記号になり、それがふわふわと広がって、溶けていく。
「アキ、みどりにはな、体も、命も、魂すら無かったんだからしかたがないんだ。ただあそこにあったのは人格だ。誰かがコピーしたのか、作り直したのかはわからなかったけどな。それに、自分のことは自分でケリをつけるしか…」ヨシは既に分かっていることを言った。
「それは、あたしも同じだ」
「…同じ、とはどういうことだ?」
アキは余計なことだ、と何も言わなかった。
トモエは巻き込まれたその状況がわからず、ただどうしようもないことがあることを理解した。
「次のチャンスがあるって」
「わ、わかってる。ありがとう」
同僚の慰めに、気丈に振る舞うトモエ。
しかし、アキたちが敵なのか味方なのかわからなくなってしまっていた。
そこに、上司が現れ、トモエは席を外すよう言われたため、トモエは「先に帰ります、明後日戻ります」と言ってその場を離れた。
「あの子がネットワークに入った時、気付いたことがあったでしょう」
「ええ、みどりは幼い子供の姿でしたが、トモエさんの現実での姿はまるで成長したみどりの姿です。でもまさか、関係があるということなのでしょうか」
「わかんねーな」
ヨシはいつもの通り、酒を飲みながら考えていた。しかし、ヨシは何となく、不可解な何かに一瞬触れたような気がしたのだった。
「…みどりには人格というものが確かにあったが、精神とかそういうものはあったんだろうか」
体が既に失われながら電子世界に存在していたみどり。彼女には、「いのち」があったのか。それは、ヨシには到底理解の及ばないものだった。
「それにしても不自然だな…アキは」そう、ヨシは思い出していた。アキは自分と同じ条件の中で電子の海に潜ったはずだった。だが、アキは自分よりもスムーズに電子の海の中を泳いでいた。場数をこなしていたから、というものではないような気が、ヨシにはしていた。あの素早さはどこから可能なことになるのか。
それに、その時に、アキの魂の存在をちゃんと感じたはずだった。しかし、みどりに出会った時に感じた、生身の人間ではないその存在感に似たものがあった。「アキはふつうの人間ではないのか?」ヨシの考えを更に覆す、その疑問に答えられる人は、彼女自身以外にはいないように思われた。しかし、直接尋ねたところで、
「たぶん答えちゃくれねーんだろうな」
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アキは目を覚ました。確かに睡眠は十分に取っていたから、目が覚めてもおかしくはない時間だった。ただ、アキはある違和感を覚えていた。何かが狂っている。どこかに異変がある。アキは危険を悟り、窓を少しだけ開けた。
バス停に向かう方向に、人が道ばたにぐったりと倒れ込んでいる。何かがおかしい。ヨシの車の音が聞こえる。と、いうことは、「商売の始まりだな」。
アキは静かに階段を下りる。ヨシもニッとした笑顔で「よぅ、今日は大人しいな。変だよな、何か。ネットワークには繋いでないよな?」「いや、こんな時は状況がわかるまでヘタなことはやらないのがいい選択。アナログな方法で確認してからさ」
「だよな、さて、行ってみるか?役所にケーサツ、消防本部。常にネットワークに繋がれているあいつらはどうなってるかって感じじゃねーかな」「オッケー、行ってみるか」二人は車に乗り込んだ。アキは、あのウェーブがかった髪の後ろ姿を思い出しながら、前を見つめた。
早速ついてみるも、静まり返ったその光景に二人とも言葉が出なかった。「ヨシ、こいつは…」「うーん、すげえな…公務員ご一行様、ダウンしてやがる」「生きてるのは数人ってところだな、こりゃヤバい」その中に、トモエがいた。こちらには気づいていない。「とりあえず、こっちには接触しない方がいいな」ヨシは断言した。アキもヨシも、記録を残させていないとはいえ、できるだけ接触したくないと思っていた。「街に出てみるかな」アキは車のシートに座ってそう言った。「そうだな、ここじゃ人が少なすぎて様子がわからねえ」ヨシも同意した。「街の奴らはみんな起きてすぐネットワークに繋ぐからな、繋いだ先に何があるのかわかりやすいだろう」
「ウイルスか?ハックか?はたまたシステム屋のストか?警察や役所はすっかりストップしているようだけど、これだけじゃわからないな。ま、あたしたちに負けは無い」アキは長い髪を高い位置でひとつに結び、黒っぽい赤の口紅を塗った。「アキ、もっと可愛い色でも塗ってみればいいのに。きっとピンクも似合う」「いーよ、あたしの性格には似合わない」「こんないい女には何でも似合うよ」ヨシの言葉にアキは大笑いして、すぐに前をじっと睨んだ。
今、この街に何が起こっているのか。ターゲットは誰なのか。それとも、無差別か。そして、誰がこんなことをして得になるのか。わからないことばかりで、アキもヨシも本音では不愉快だったのだった。「何となく思い出す奴はいるんだけど、まさかねえ」とアキは言った。「推測でモノを言うのは確かにやめた方が無難だな、何事も根拠が大事だ、しかしこういう判断材料の無い時には、嗅覚が頼りになるんだぜ」ヨシはそう言った。
街をゆっくり通り過ぎる。他に動いているクルマは無かった。ハンドルを握ったまま、ヨシは言った。「変だな」「ああ、バスやタクシーさえ止まったまま…なんだこりゃ?」人が2、3人停留所のベンチに座ったまま気を失っている。起きてすぐにネットワークに接続する人ばかりではなかったのだろう。バスの運転手らしき人物は、目を開けて横向きに倒れたまま止まっていた。ヨシはクルマを止め、アキはその運転手の様子を探ろうと近づいた。運転手は普通バスの中にいるはずだが、その人は。
その瞬間、その運転手の瞳が動いた。意識を失っているはずなのに!
「アキ!」ヨシが縄をアキに投げた。アキの胴体にヨシの縄が巻き付き、ヨシが引っ張った。アキはすんでのところでクルマに戻された。バスの運転手は瞳がグルグルと回り続け、アキたちの方に手を向けた。「アキ!ベルト締めろ!吹っ飛ぶぞ!」猛スピードで走り抜けた。道が空いていて運が良かったとしかいいようのない状況に、アキは前髪をぐしゃぐしゃとひっかいた。「無差別ハックだな」イラついたアキに、ヨシは落ち着け、と一言。「ターゲットが決まってる様子じゃねーな」ヨシはするりとアキの縄を片手で上手にほどき、その手に短く持ち直した。
ヨシはアキの方を見ることなく、尋ねた。「あいつ、何か持ってたか?」アキは、「いや、何も」と答えた。「人の意志でやる行動にしてはおかしい。手を伸ばしただけで何をするつもりだったんだ?」
そしてその頃、気を失っていた人々が一斉に起きあがり、無表情のまま同じ誰かの声で「うふ…ふ…」と笑っていた。
この数日前から、ネットにある噂が流れていたことはアキも知っていた。「みどり、って知ってるか?」「ああ、あのホラーな噂だろ?勝手に他人のゲームの名前がみどりという名前になってたり、子供の学校の課題が全部みどりって書いてあったりする…あれ。どう考えてもハックだよな。」「ヨシ、どこに向かってるんだ?」「大学路のジューススタンド」その答えに呆れるアキ。「あのなあ…」しかし、すぐ異変に気がついた。「人が集まるところっていったらとりあえずここだろ?学生がいっぱいいるんじゃねーの」「…ん」バイクを降りた学生の目が開いていない。そして、何かつぶやいている。アキは遠くからその人物の声を聞き当てる。「…みどりが探してる、って言ってるな」
「ハックしてる当の人物は、どうやら数日前のゴチャゴチャと同一人物らしいな」「おい!早く車を動かせ!あいつらこっち向かってきてんぞ」「やっべえ、悪い」ヨシは車をアクセルを踏み込んだ。あの目がグルグル動いている学生たちが、その車の音に反応する。
「わたくしのハッキングにかかってない人がいるのね」細く柔らかい声で「みどり」は「言った」。その姿は小さな少女で、ロングのツヤのない緑色のウェーブヘア、細い手足。年齢は、どう見ても15歳に満たない。
「わたくし、ずっとこのままひとりぼっちなのかしら。人の意識を奪い取っても、人は何も教えてくれないわ」みどりはネットワークの中で遠くに手を伸ばした。「いつになったらわたくしはあの人に会えるのかしら」
「どーする?これはちょっと、どころじゃなくどうにも厄介そうだ」
「しかしこのままって訳にもいかないな」アキはちょっと考えて、言った。
「これを解決して、警察に利益を要求するのはどうだろう。何よりデータをとっつかまえてまた流すぞと脅せばいくらかはどっかから出すだろう」
「それは無謀だな」
「あたしの考えに口を出すのか?」
「アキ、お前もしかして…」ヨシは何かを思い出したように、アキを探ろうとした。
「さ、あたしたちはさっさとネットワークに入ろう」
「とにかく放置することに反対なのは同じだ…アキについていくよ。好きな女だ、いつだって守ってやるよ」
「かっこつけんな、気持ち悪ぃ」
ヨシの部屋から、電子の海に潜る。アキは結んだ長い髪をまとめてシニヨンにし、ヨシはメガネをゴーグルに変えて、ブクブクと音を立てて沈んでいく。この世界には色はない。しかし、そこに色のついた人、いや存在、生き物がいた。「わたくしの世界にようこそ、どうしてあなたがたはここにいるのに意識を保っていられるのかしら?わたくしを追い出しにでも来たのかしら、さあお答えなさい!」電子の海に軽い嵐が巻き起こった。アキはとっさにそれを避け、ヨシを引っ張って後ろに置いた。
「電子の海に誰か入った!」
「トモエさん、ちょっと」
ネットワークをモニタリングをしていた部屋はこの瞬間大騒ぎになった。
「これ以上の被害者を出しちゃいけない!私が行きます」
「でも、私たちの機材では入れたとしてもそれ以上のことは大してできませんよ」トモエの同僚は言った。
トモエの上司は「命令を待って!」と叫んだ。
「そんな」トモエは椅子に座り直し、モニターを見つめていた。
「ねえ、もっと詳細はないの」
「こっちに出てますよ」正面の男性が答える。
机の向こう側に行って、その画面に釘付けになった。
「見たことのある影…」「知っている人なんですか?」「はい、でも気のせいかもしれない」
「トモエさん、許可がおりました、装備がコレに入ってます」
ディスクがトモエに渡された。
「…余計な奴が来るな」アキは誰かがここに接続しようとしているのを感づいた。
「わたくしにもわかりますわ、それくらいのこと」
「知ってるかい?あのエリアは警察だよ。このままだと君は捕獲されるだろうね」ヨシは優しく言った。
「何故?わたくしは人を探しているだけなのに」
「人探しのためにハッキングかよ、ちょっとやりすぎじゃ…」
アキはみどりの姿をこの時はっきりと見てあることを思い出したが、これ以上何も言わなかった。
ヨシは言った。「カラダはどこに?すぐにこの海を出ないとヤバいぞ」
「わたくしにはカラダは無いの」
「出られねーんだよ、こいつは。一時的でいい、出られるように先に部屋に戻っててくれ、ヨシ」
「どういうことだ?」
「このみどりは、記録体だ。人格だけを取り出してこのネットワークの中にまとめて保存してある存在ってことだ」「そんなもんが…わかった」ヨシは水面へと向かっていった。
みどりはにこりと笑った。「あなたには魂も命もあるのね…」
その言葉に、思い出していたものに確信を得てうなづくアキは、小さく独り言を言った。「記憶は、失われたのか」
「こっちに来なさい!」電子の海の中で、みどりに言葉を投げかけるトモエ。
しかし、その姿は普段現実で見る姿とは違っている。長身で、ストレートの短髪。アキは一瞬ひるんだ。「アキ!どうしてここに?!」トモエを無視して、アキはこの場を離れることにした。「ヨシ、行くぞ、準備はできたよな?」みどりともども、こっそり海の上に出ていたヨシはシュッとふたりに縄を投げ捕まえ、水面の外に出してしまった。
「わたくし…出られないはずなのに…」
「俺がちょっとした領域を作ったのさ、今さっきな。ここの小さな部屋にいる分にはあんたは存在していられる」ヨシはひとつ付け加えた。「ただ、色々聞きたいことがある。だから、ネットワークからは離れてる。大丈夫、俺らが君を害するか、消滅させるしかない選択肢を持たないあの警察から守る代わり」 「あんたに、あたしたちの言うこと聞いてもらうよ」アキはみどりの目を見て、はっきりと言った。
「逃がしたって?!」「申し訳ありません!」「残念なことだ。しかし、もっと君には支援を送るべきだったことは私たちも自覚しなくてはね…」
「どういう…ことでしょうか」
「あいつらは賊にすぎない。だが圧倒的に実力が違いすぎる」 「僕もそう見積もります、何しろ僕らのマシンは古すぎて、彼らを追い切れませんでした」後衛を指揮していたトモエの同僚が言い放った。カネはすべて、マシンにつぎこんで生活する賊。それがアキと、彼女と一緒にいた男の本性。
「アキ…」トモエはアキのことを思い出していた。いつか、今では原因も分からずに喧嘩別れで終わってしまった。彼女はすべてに優しかったはずなのに、今ではあんな存在になってしまった。私が悪かった気がするのに、どうして、こんなことになったんだろう。私がずっとアキと仲良くしていたなら、こんなことにならなかった…?トモエはいつしか、自分を責めるような気持ちになってしまった。「そういえば…」彼女は、結婚しているはず。なぜ別の男性と一緒にいたのだろう。古い記憶の中にいたあの男性は、一体どこに行ってしまったのだろう。
「さて、みどり、話を聞こうじゃないか」アキは髪をほどき、床にあぐらをかいて座った。ヨシはキーボードを打ち続け、その領域の維持とより堅固な守りを作るべく画面を見ていた。「俺も聞いてるから続けてくれな」
みどりの画像が揺らいで、彼女が取り出したのは一枚のメモだった。
「うん…?この名前の人を捜しているのか?」
「アキ、だからこのみどりはその2人が作ったんじゃないのか」ヨシは一瞬だけ手を止めてアキを見た。
「さようです」
「それで、この2人を捜しているのか」
「ええ」みどりはうなづいた。
「名前は?」
「タカシ、と私の記録には残されていますが、もう片方の名前は消えています」
「片方しか残ってないか。そいつをどうしたいんだ?」アキは冷や汗をかいていた。
「…会いたいんです」
「作り手と再会したい、か…」「どうなんだろうな?」「さあね」ヨシはアキの持ってきた炭酸水を飲んで、「さあみどりさん、今日はもう休んで。俺のベッドでよければ」「…そうさせていただきますわ」「ヨシ、彼女に手を出すなよ?」「はは、触れることができないからそれ以前の問題じゃねーの?」「そうだな、肉体はどこにあるんだかな。あたしも、ちと調べてみるよ」知っているはずのことを、アキは嘘で隠した。ヨシは、気づいても何も言わなかった。言ったところで、アキは絶対に何も言わないだろうことを知っていたから。
ビル風が、ベランダにいるアキのストレートヘアをふわりとなびかせた。「アキは、俺と結ばれる気はないのかな?」「…あたしを口説いてる暇なんかないよ、さっさと色々調べるべきだ」「ま、そうだな」二人は部屋に入った。
その夜から、「みどり」による被害は無くなった。
「私…負けたんだね、あの強盗たちに。私、どっかで甘いこと考えてたんだと思う。」
ユウコは尋ねた。「どうして?友達だったなら、やっぱりそういう気持ちにはなると思うけれど」
「みどりを止められたのは結局アキたちだったし、アキたちは私を…邪魔者、違うかな、むしろ敵だと思っているからあんなことができるんだ」
「信じないの?期待も持てなくなっちゃった?」
「…そうだね、もう期待することはできないと思う」
静かなカフェで、二人は穏やかに酒を飲んでいた。もう、この一件は終わってしまったのだから。
「あのさ、ヨシ」
「うん?」
「みどりはネットワーク上にも自分のデータを残していたと言っていたよな」
「ああ」
「分離してあんたの部屋にいるみどりとは、別々に動いているんじゃねーかと思って」
「…その危険性はあるな、しばらくこっちのみどりはネットに繋げさせないのが安全かもしれないな。それに、あの写真の人物を探す方が先だ。しかし、ネットワーク上に偏在していたみどりがみつけられないのだから、ネットに繋がない人物なのか、それとも」
「存在しねーのかもよ?」
みどりは既にわかっていた。
「わたくしの体も、この二人もきっともういないのね…」「…帰ってきて…」
「誰?」
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バス停に向かう方向に、人が道ばたにぐったりと倒れ込んでいる。何かがおかしい。ヨシの車の音が聞こえる。と、いうことは、「商売の始まりだな」。
アキは静かに階段を下りる。ヨシもニッとした笑顔で「よぅ、今日は大人しいな。変だよな、何か。ネットワークには繋いでないよな?」「いや、こんな時は状況がわかるまでヘタなことはやらないのがいい選択。アナログな方法で確認してからさ」
「だよな、さて、行ってみるか?役所にケーサツ、消防本部。常にネットワークに繋がれているあいつらはどうなってるかって感じじゃねーかな」「オッケー、行ってみるか」二人は車に乗り込んだ。アキは、あのウェーブがかった髪の後ろ姿を思い出しながら、前を見つめた。
早速ついてみるも、静まり返ったその光景に二人とも言葉が出なかった。「ヨシ、こいつは…」「うーん、すげえな…公務員ご一行様、ダウンしてやがる」「生きてるのは数人ってところだな、こりゃヤバい」その中に、トモエがいた。こちらには気づいていない。「とりあえず、こっちには接触しない方がいいな」ヨシは断言した。アキもヨシも、記録を残させていないとはいえ、できるだけ接触したくないと思っていた。「街に出てみるかな」アキは車のシートに座ってそう言った。「そうだな、ここじゃ人が少なすぎて様子がわからねえ」ヨシも同意した。「街の奴らはみんな起きてすぐネットワークに繋ぐからな、繋いだ先に何があるのかわかりやすいだろう」
「ウイルスか?ハックか?はたまたシステム屋のストか?警察や役所はすっかりストップしているようだけど、これだけじゃわからないな。ま、あたしたちに負けは無い」アキは長い髪を高い位置でひとつに結び、黒っぽい赤の口紅を塗った。「アキ、もっと可愛い色でも塗ってみればいいのに。きっとピンクも似合う」「いーよ、あたしの性格には似合わない」「こんないい女には何でも似合うよ」ヨシの言葉にアキは大笑いして、すぐに前をじっと睨んだ。
今、この街に何が起こっているのか。ターゲットは誰なのか。それとも、無差別か。そして、誰がこんなことをして得になるのか。わからないことばかりで、アキもヨシも本音では不愉快だったのだった。「何となく思い出す奴はいるんだけど、まさかねえ」とアキは言った。「推測でモノを言うのは確かにやめた方が無難だな、何事も根拠が大事だ、しかしこういう判断材料の無い時には、嗅覚が頼りになるんだぜ」ヨシはそう言った。
街をゆっくり通り過ぎる。他に動いているクルマは無かった。ハンドルを握ったまま、ヨシは言った。「変だな」「ああ、バスやタクシーさえ止まったまま…なんだこりゃ?」人が2、3人停留所のベンチに座ったまま気を失っている。起きてすぐにネットワークに接続する人ばかりではなかったのだろう。バスの運転手らしき人物は、目を開けて横向きに倒れたまま止まっていた。ヨシはクルマを止め、アキはその運転手の様子を探ろうと近づいた。運転手は普通バスの中にいるはずだが、その人は。
その瞬間、その運転手の瞳が動いた。意識を失っているはずなのに!
「アキ!」ヨシが縄をアキに投げた。アキの胴体にヨシの縄が巻き付き、ヨシが引っ張った。アキはすんでのところでクルマに戻された。バスの運転手は瞳がグルグルと回り続け、アキたちの方に手を向けた。「アキ!ベルト締めろ!吹っ飛ぶぞ!」猛スピードで走り抜けた。道が空いていて運が良かったとしかいいようのない状況に、アキは前髪をぐしゃぐしゃとひっかいた。「無差別ハックだな」イラついたアキに、ヨシは落ち着け、と一言。「ターゲットが決まってる様子じゃねーな」ヨシはするりとアキの縄を片手で上手にほどき、その手に短く持ち直した。
ヨシはアキの方を見ることなく、尋ねた。「あいつ、何か持ってたか?」アキは、「いや、何も」と答えた。「人の意志でやる行動にしてはおかしい。手を伸ばしただけで何をするつもりだったんだ?」
そしてその頃、気を失っていた人々が一斉に起きあがり、無表情のまま同じ誰かの声で「うふ…ふ…」と笑っていた。
この数日前から、ネットにある噂が流れていたことはアキも知っていた。「みどり、って知ってるか?」「ああ、あのホラーな噂だろ?勝手に他人のゲームの名前がみどりという名前になってたり、子供の学校の課題が全部みどりって書いてあったりする…あれ。どう考えてもハックだよな。」「ヨシ、どこに向かってるんだ?」「大学路のジューススタンド」その答えに呆れるアキ。「あのなあ…」しかし、すぐ異変に気がついた。「人が集まるところっていったらとりあえずここだろ?学生がいっぱいいるんじゃねーの」「…ん」バイクを降りた学生の目が開いていない。そして、何かつぶやいている。アキは遠くからその人物の声を聞き当てる。「…みどりが探してる、って言ってるな」
「ハックしてる当の人物は、どうやら数日前のゴチャゴチャと同一人物らしいな」「おい!早く車を動かせ!あいつらこっち向かってきてんぞ」「やっべえ、悪い」ヨシは車をアクセルを踏み込んだ。あの目がグルグル動いている学生たちが、その車の音に反応する。
「わたくしのハッキングにかかってない人がいるのね」細く柔らかい声で「みどり」は「言った」。その姿は小さな少女で、ロングのツヤのない緑色のウェーブヘア、細い手足。年齢は、どう見ても15歳に満たない。
「わたくし、ずっとこのままひとりぼっちなのかしら。人の意識を奪い取っても、人は何も教えてくれないわ」みどりはネットワークの中で遠くに手を伸ばした。「いつになったらわたくしはあの人に会えるのかしら」
「どーする?これはちょっと、どころじゃなくどうにも厄介そうだ」
「しかしこのままって訳にもいかないな」アキはちょっと考えて、言った。
「これを解決して、警察に利益を要求するのはどうだろう。何よりデータをとっつかまえてまた流すぞと脅せばいくらかはどっかから出すだろう」
「それは無謀だな」
「あたしの考えに口を出すのか?」
「アキ、お前もしかして…」ヨシは何かを思い出したように、アキを探ろうとした。
「さ、あたしたちはさっさとネットワークに入ろう」
「とにかく放置することに反対なのは同じだ…アキについていくよ。好きな女だ、いつだって守ってやるよ」
「かっこつけんな、気持ち悪ぃ」
ヨシの部屋から、電子の海に潜る。アキは結んだ長い髪をまとめてシニヨンにし、ヨシはメガネをゴーグルに変えて、ブクブクと音を立てて沈んでいく。この世界には色はない。しかし、そこに色のついた人、いや存在、生き物がいた。「わたくしの世界にようこそ、どうしてあなたがたはここにいるのに意識を保っていられるのかしら?わたくしを追い出しにでも来たのかしら、さあお答えなさい!」電子の海に軽い嵐が巻き起こった。アキはとっさにそれを避け、ヨシを引っ張って後ろに置いた。
「電子の海に誰か入った!」
「トモエさん、ちょっと」
ネットワークをモニタリングをしていた部屋はこの瞬間大騒ぎになった。
「これ以上の被害者を出しちゃいけない!私が行きます」
「でも、私たちの機材では入れたとしてもそれ以上のことは大してできませんよ」トモエの同僚は言った。
トモエの上司は「命令を待って!」と叫んだ。
「そんな」トモエは椅子に座り直し、モニターを見つめていた。
「ねえ、もっと詳細はないの」
「こっちに出てますよ」正面の男性が答える。
机の向こう側に行って、その画面に釘付けになった。
「見たことのある影…」「知っている人なんですか?」「はい、でも気のせいかもしれない」
「トモエさん、許可がおりました、装備がコレに入ってます」
ディスクがトモエに渡された。
「…余計な奴が来るな」アキは誰かがここに接続しようとしているのを感づいた。
「わたくしにもわかりますわ、それくらいのこと」
「知ってるかい?あのエリアは警察だよ。このままだと君は捕獲されるだろうね」ヨシは優しく言った。
「何故?わたくしは人を探しているだけなのに」
「人探しのためにハッキングかよ、ちょっとやりすぎじゃ…」
アキはみどりの姿をこの時はっきりと見てあることを思い出したが、これ以上何も言わなかった。
ヨシは言った。「カラダはどこに?すぐにこの海を出ないとヤバいぞ」
「わたくしにはカラダは無いの」
「出られねーんだよ、こいつは。一時的でいい、出られるように先に部屋に戻っててくれ、ヨシ」
「どういうことだ?」
「このみどりは、記録体だ。人格だけを取り出してこのネットワークの中にまとめて保存してある存在ってことだ」「そんなもんが…わかった」ヨシは水面へと向かっていった。
みどりはにこりと笑った。「あなたには魂も命もあるのね…」
その言葉に、思い出していたものに確信を得てうなづくアキは、小さく独り言を言った。「記憶は、失われたのか」
「こっちに来なさい!」電子の海の中で、みどりに言葉を投げかけるトモエ。
しかし、その姿は普段現実で見る姿とは違っている。長身で、ストレートの短髪。アキは一瞬ひるんだ。「アキ!どうしてここに?!」トモエを無視して、アキはこの場を離れることにした。「ヨシ、行くぞ、準備はできたよな?」みどりともども、こっそり海の上に出ていたヨシはシュッとふたりに縄を投げ捕まえ、水面の外に出してしまった。
「わたくし…出られないはずなのに…」
「俺がちょっとした領域を作ったのさ、今さっきな。ここの小さな部屋にいる分にはあんたは存在していられる」ヨシはひとつ付け加えた。「ただ、色々聞きたいことがある。だから、ネットワークからは離れてる。大丈夫、俺らが君を害するか、消滅させるしかない選択肢を持たないあの警察から守る代わり」 「あんたに、あたしたちの言うこと聞いてもらうよ」アキはみどりの目を見て、はっきりと言った。
「逃がしたって?!」「申し訳ありません!」「残念なことだ。しかし、もっと君には支援を送るべきだったことは私たちも自覚しなくてはね…」
「どういう…ことでしょうか」
「あいつらは賊にすぎない。だが圧倒的に実力が違いすぎる」 「僕もそう見積もります、何しろ僕らのマシンは古すぎて、彼らを追い切れませんでした」後衛を指揮していたトモエの同僚が言い放った。カネはすべて、マシンにつぎこんで生活する賊。それがアキと、彼女と一緒にいた男の本性。
「アキ…」トモエはアキのことを思い出していた。いつか、今では原因も分からずに喧嘩別れで終わってしまった。彼女はすべてに優しかったはずなのに、今ではあんな存在になってしまった。私が悪かった気がするのに、どうして、こんなことになったんだろう。私がずっとアキと仲良くしていたなら、こんなことにならなかった…?トモエはいつしか、自分を責めるような気持ちになってしまった。「そういえば…」彼女は、結婚しているはず。なぜ別の男性と一緒にいたのだろう。古い記憶の中にいたあの男性は、一体どこに行ってしまったのだろう。
「さて、みどり、話を聞こうじゃないか」アキは髪をほどき、床にあぐらをかいて座った。ヨシはキーボードを打ち続け、その領域の維持とより堅固な守りを作るべく画面を見ていた。「俺も聞いてるから続けてくれな」
みどりの画像が揺らいで、彼女が取り出したのは一枚のメモだった。
「うん…?この名前の人を捜しているのか?」
「アキ、だからこのみどりはその2人が作ったんじゃないのか」ヨシは一瞬だけ手を止めてアキを見た。
「さようです」
「それで、この2人を捜しているのか」
「ええ」みどりはうなづいた。
「名前は?」
「タカシ、と私の記録には残されていますが、もう片方の名前は消えています」
「片方しか残ってないか。そいつをどうしたいんだ?」アキは冷や汗をかいていた。
「…会いたいんです」
「作り手と再会したい、か…」「どうなんだろうな?」「さあね」ヨシはアキの持ってきた炭酸水を飲んで、「さあみどりさん、今日はもう休んで。俺のベッドでよければ」「…そうさせていただきますわ」「ヨシ、彼女に手を出すなよ?」「はは、触れることができないからそれ以前の問題じゃねーの?」「そうだな、肉体はどこにあるんだかな。あたしも、ちと調べてみるよ」知っているはずのことを、アキは嘘で隠した。ヨシは、気づいても何も言わなかった。言ったところで、アキは絶対に何も言わないだろうことを知っていたから。
ビル風が、ベランダにいるアキのストレートヘアをふわりとなびかせた。「アキは、俺と結ばれる気はないのかな?」「…あたしを口説いてる暇なんかないよ、さっさと色々調べるべきだ」「ま、そうだな」二人は部屋に入った。
その夜から、「みどり」による被害は無くなった。
「私…負けたんだね、あの強盗たちに。私、どっかで甘いこと考えてたんだと思う。」
ユウコは尋ねた。「どうして?友達だったなら、やっぱりそういう気持ちにはなると思うけれど」
「みどりを止められたのは結局アキたちだったし、アキたちは私を…邪魔者、違うかな、むしろ敵だと思っているからあんなことができるんだ」
「信じないの?期待も持てなくなっちゃった?」
「…そうだね、もう期待することはできないと思う」
静かなカフェで、二人は穏やかに酒を飲んでいた。もう、この一件は終わってしまったのだから。
「あのさ、ヨシ」
「うん?」
「みどりはネットワーク上にも自分のデータを残していたと言っていたよな」
「ああ」
「分離してあんたの部屋にいるみどりとは、別々に動いているんじゃねーかと思って」
「…その危険性はあるな、しばらくこっちのみどりはネットに繋げさせないのが安全かもしれないな。それに、あの写真の人物を探す方が先だ。しかし、ネットワーク上に偏在していたみどりがみつけられないのだから、ネットに繋がない人物なのか、それとも」
「存在しねーのかもよ?」
みどりは既にわかっていた。
「わたくしの体も、この二人もきっともういないのね…」「…帰ってきて…」
「誰?」
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「いいのか、アキ、あれでよ」
「いいんじゃねーの。あたしはもう元のあたしじゃない。ただ本来のあたしがやるべきことを終わらせただけだ」
「なーんだよ、俺がいるじゃんかよ」
片手でアキを抱き寄せるヨシに、
「ヨシはさ、ここであたしがYESとかNOとか言ったら、それで終わりなのか?」
「まあ、妹も嘘だったが、お前が助けてくれたから俺がここにいる事実は変わらねえ。お前が俺と結ばれてくれるまでNOの返事は全部無かったことにしといてやるよ」
「ばーか」
「それよりさ、マトモな職業に就かないか?俺ら、もう悪党を働く理由が無いんだぜ」
「…ま、それもそうだな。」
「俺の行きつけのバーももう行けないが、昔この国でよく一緒に飲んでた仲間がいる。きっと今週末もいるだろう。そこで仕事探そうぜ」
「いいな、それ。もうあたしは自由なんだよな」
「もちろん、俺の彼女として紹介するからな、じゃないと色々面倒くさい連中だからな」
「類は友を呼ぶってヤツだな」
「Exactly!」
こうやって、アキとヨシはトモエやみどりのことを一旦忘れ、他の国へと渡ったのだった。長く続くと思われた悪党としての生活をも忘れることができるかは、彼女たちの巡り合わせによるだろう。
(了)