No.12, No.11, No.10, No.9, No.8, No.7, No.6[7件]
金曜日
携帯が鳴っている。
短い着信音に、メールだとみな気がつく。
今日は、金曜日。
短く切った柔らかい黒髪に、明るいブラウンの瞳が、つやつやと揺れる。彼は故郷を遠く離れ、いわゆる大都市と言われる場所に住んでいた。夜の22時、部屋の照明をつけずにいた。パイン材の薄いベージュ色の机に落ちる他のビルからの白い光で十分部屋は明るいと感じていた。ライトグレーの絨毯の上には、今さっき帰宅したことがわかるような買い物袋が、荷物を入れたまま鞄と一緒に落ちている。彼は一度小さな冷蔵庫にパンを入れるために部屋から玄関の方へと向かった。
戻ってくると、彼はカップにコーヒーを注ぎ、その柔らかく流れていく湯気すら気にすることなく、その文章を見つめていた。
誰が自分に関心を持つものかと、彼は1年前までそう思っていた。彼は受信ボックスを開くと、同じ送信元の並んだリストを見た。彼にメールを送る人はほとんどいないから、そのリストの見える範囲には同じメールアドレスしか見えていない。おそらく、その下を見ても同じメールアドレスしか載っていないだろう。
彼は唇を閉じたまま、そうして時間が過ぎた。
そうして、翌週の金曜日の夜にも同じようにメールが送られてきた。明るさを失ったブラウンの瞳が、柔らかい黒髪から透けて見える。彼はこの一週間を辛い気持ちで過ごしたのだった。帰宅した彼はメールを開いた。悲しさと悔やしさが押し寄せてきたため、一瞬でもそれを忘れようとしていた。彼はメールを開いたものの、読めていなかった。彼は上着やスラックスを脱ぎ、下着のままベッドに入り眠ってしまった。
さて、次の日、彼は起き出して自分の用事をやっていた。あのメールのことはすっかり忘れて、彼はあのままの沈んだブラウンの瞳を繰り返し擦りながら風呂を済ませた。孤独感は増すばかりで、彼は部屋を出て外で過ごすことにした。
太陽の日差しが弱くなっていくのを見ている時、携帯をまったくチェックしていなかったことを彼は突然思い出した。
彼は驚いた。あの不思議なメールの本文には、彼の名前が書かれていたのだった。今まで、彼はこのメールに返信したことは一度もなかった。
「こんにちは、いつき。元気に過ごしているでしょうか。元気にしているといいのだけれど」
メールはこの文だけで終わっている。自分の名前を送信したこともないのに、自分の名前をその人は知っている。不思議だけれど、彼はあまりにも孤独すぎて、それが嬉しかったのだった。
数ヶ月が過ぎ、彼は仕事以外の場でパートナーを作ることができたのだった。そのために、すっかりそのメールのことを忘れていた。金曜日の22時が、訪れた時、2人の携帯が同時に鳴った。彼女は携帯を見ていたが、「毎週金曜日のこの時間に決まってメールが届くんだよね。文面は優しいんだけどさ、何だか気味が悪くて」
彼女は言った。「あんまり、ああいうのに返事しない方がいいよ」チョコレートを口にしながら。「何が目的なのかわからないじゃない?」
「そういうものなのかな」「そうだよ」
彼は、彼女の意見にとりあえず同意することにした。
「そうか、じゃあ、そうしよう」
しかし、火曜日、彼は彼女が自分の知らない男性と親しげに、楽しそうに話しているのを見かけてしまった。「どうしたらいいんだろう」彼は不安になったが、見なかったことにすることにした。一人に戻りたくなかったのだった。話題にすれば、関係が失われるかもしれない、その不安に、彼は耐えられそうになかったのだった。
金曜日の夜が訪れ、彼は一人で自分の部屋にいた。彼女と一緒に過ごしたかったが、声をかける気持ちに、どうしてもなれなかったのだった。しかしそれはまた逆効果で、彼に不安を起こさせた。今頃、彼女はあの知らない男性と一緒にいるのではないか、そうして自分と一緒にいるより楽しく過ごしているのではないか、と。
そうして、また彼はあのメールを見るのだった。「いつき、どうして今一人でいるの」と。今度は名前だけではなく、状況を知っていることに気がついた。彼女は、確か「気味が悪い」と言っていた。彼はふと、返信した。「なぜそんなことを聞くんだ?誰?」すると、すぐに返事が返ってきたのだった。「彼女を一人にしてはいけないと思う。」
そして、彼はもう一度返信した。「彼女が今どこにいるのか、知らないよ。関係ないだろう?」そしてまたすぐにメールが返ってきた。「あなたたちが最後に行った橋の上にいる。すぐに行きなさい」
彼は上着を着て、小さな鞄を持った。走ってその場所へ向かった。彼は彼女の姿を見て息をのんだ。彼女は今、まさに川を見つめてぼんやりとしていた。彼は急いで彼女の元へ行った。「どうしてこっちに来ているのに、連絡してくれなかったんだ?」「何で、いつも通り誘ってくれなかったの、私はあなたに振られたんだと思った。もう、一緒にいたくないってこと?」彼らの近くで、冷たい風が吹き、彼女のニット帽から出ている髪が揺れていた。
彼は、彼女の手を取って歩き始めた。「今でも遅くないかな?」「今日は予約なんて取ってないし、たいしたところも空いてないでしょ」彼女は笑った。暗くなったビルの間から、繁華街に通じる通りが春の強い風に揺れて瞬いていた。
携帯が鳴っている。
短い着信音に、メールだとみな気がつく。
今日は、金曜日。
短く切った柔らかい黒髪に、明るいブラウンの瞳が、つやつやと揺れる。彼は故郷を遠く離れ、いわゆる大都市と言われる場所に住んでいた。夜の22時、部屋の照明をつけずにいた。パイン材の薄いベージュ色の机に落ちる他のビルからの白い光で十分部屋は明るいと感じていた。ライトグレーの絨毯の上には、今さっき帰宅したことがわかるような買い物袋が、荷物を入れたまま鞄と一緒に落ちている。彼は一度小さな冷蔵庫にパンを入れるために部屋から玄関の方へと向かった。
戻ってくると、彼はカップにコーヒーを注ぎ、その柔らかく流れていく湯気すら気にすることなく、その文章を見つめていた。
誰が自分に関心を持つものかと、彼は1年前までそう思っていた。彼は受信ボックスを開くと、同じ送信元の並んだリストを見た。彼にメールを送る人はほとんどいないから、そのリストの見える範囲には同じメールアドレスしか見えていない。おそらく、その下を見ても同じメールアドレスしか載っていないだろう。
彼は唇を閉じたまま、そうして時間が過ぎた。
そうして、翌週の金曜日の夜にも同じようにメールが送られてきた。明るさを失ったブラウンの瞳が、柔らかい黒髪から透けて見える。彼はこの一週間を辛い気持ちで過ごしたのだった。帰宅した彼はメールを開いた。悲しさと悔やしさが押し寄せてきたため、一瞬でもそれを忘れようとしていた。彼はメールを開いたものの、読めていなかった。彼は上着やスラックスを脱ぎ、下着のままベッドに入り眠ってしまった。
さて、次の日、彼は起き出して自分の用事をやっていた。あのメールのことはすっかり忘れて、彼はあのままの沈んだブラウンの瞳を繰り返し擦りながら風呂を済ませた。孤独感は増すばかりで、彼は部屋を出て外で過ごすことにした。
太陽の日差しが弱くなっていくのを見ている時、携帯をまったくチェックしていなかったことを彼は突然思い出した。
彼は驚いた。あの不思議なメールの本文には、彼の名前が書かれていたのだった。今まで、彼はこのメールに返信したことは一度もなかった。
「こんにちは、いつき。元気に過ごしているでしょうか。元気にしているといいのだけれど」
メールはこの文だけで終わっている。自分の名前を送信したこともないのに、自分の名前をその人は知っている。不思議だけれど、彼はあまりにも孤独すぎて、それが嬉しかったのだった。
数ヶ月が過ぎ、彼は仕事以外の場でパートナーを作ることができたのだった。そのために、すっかりそのメールのことを忘れていた。金曜日の22時が、訪れた時、2人の携帯が同時に鳴った。彼女は携帯を見ていたが、「毎週金曜日のこの時間に決まってメールが届くんだよね。文面は優しいんだけどさ、何だか気味が悪くて」
彼女は言った。「あんまり、ああいうのに返事しない方がいいよ」チョコレートを口にしながら。「何が目的なのかわからないじゃない?」
「そういうものなのかな」「そうだよ」
彼は、彼女の意見にとりあえず同意することにした。
「そうか、じゃあ、そうしよう」
しかし、火曜日、彼は彼女が自分の知らない男性と親しげに、楽しそうに話しているのを見かけてしまった。「どうしたらいいんだろう」彼は不安になったが、見なかったことにすることにした。一人に戻りたくなかったのだった。話題にすれば、関係が失われるかもしれない、その不安に、彼は耐えられそうになかったのだった。
金曜日の夜が訪れ、彼は一人で自分の部屋にいた。彼女と一緒に過ごしたかったが、声をかける気持ちに、どうしてもなれなかったのだった。しかしそれはまた逆効果で、彼に不安を起こさせた。今頃、彼女はあの知らない男性と一緒にいるのではないか、そうして自分と一緒にいるより楽しく過ごしているのではないか、と。
そうして、また彼はあのメールを見るのだった。「いつき、どうして今一人でいるの」と。今度は名前だけではなく、状況を知っていることに気がついた。彼女は、確か「気味が悪い」と言っていた。彼はふと、返信した。「なぜそんなことを聞くんだ?誰?」すると、すぐに返事が返ってきたのだった。「彼女を一人にしてはいけないと思う。」
そして、彼はもう一度返信した。「彼女が今どこにいるのか、知らないよ。関係ないだろう?」そしてまたすぐにメールが返ってきた。「あなたたちが最後に行った橋の上にいる。すぐに行きなさい」
彼は上着を着て、小さな鞄を持った。走ってその場所へ向かった。彼は彼女の姿を見て息をのんだ。彼女は今、まさに川を見つめてぼんやりとしていた。彼は急いで彼女の元へ行った。「どうしてこっちに来ているのに、連絡してくれなかったんだ?」「何で、いつも通り誘ってくれなかったの、私はあなたに振られたんだと思った。もう、一緒にいたくないってこと?」彼らの近くで、冷たい風が吹き、彼女のニット帽から出ている髪が揺れていた。
彼は、彼女の手を取って歩き始めた。「今でも遅くないかな?」「今日は予約なんて取ってないし、たいしたところも空いてないでしょ」彼女は笑った。暗くなったビルの間から、繁華街に通じる通りが春の強い風に揺れて瞬いていた。
ヨシとアキは他の新しいクルマに乗っていた。
「いいのか、アキ、あれでよ」
「いいんじゃねーの。あたしはもう元のあたしじゃない。ただ本来のあたしがやるべきことを終わらせただけだ」
「なーんだよ、俺がいるじゃんかよ」
片手でアキを抱き寄せるヨシに、
「ヨシはさ、ここであたしがYESとかNOとか言ったら、それで終わりなのか?」
「まあ、妹も嘘だったが、お前が助けてくれたから俺がここにいる事実は変わらねえ。お前が俺と結ばれてくれるまでNOの返事は全部無かったことにしといてやるよ」
「ばーか」
「それよりさ、マトモな職業に就かないか?俺ら、もう悪党を働く理由が無いんだぜ」
「…ま、それもそうだな。」
「俺の行きつけのバーももう行けないが、昔この国でよく一緒に飲んでた仲間がいる。きっと今週末もいるだろう。そこで仕事探そうぜ」
「いいな、それ。もうあたしは自由なんだよな」
「もちろん、俺の彼女として紹介するからな、じゃないと色々面倒くさい連中だからな」
「類は友を呼ぶってヤツだな」
「Exactly!」
こうやって、アキとヨシはトモエやみどりのことを一旦忘れ、他の国へと渡ったのだった。長く続くと思われた悪党としての生活をも忘れることができるかは、彼女たちの巡り合わせによるだろう。
(了)
「いいのか、アキ、あれでよ」
「いいんじゃねーの。あたしはもう元のあたしじゃない。ただ本来のあたしがやるべきことを終わらせただけだ」
「なーんだよ、俺がいるじゃんかよ」
片手でアキを抱き寄せるヨシに、
「ヨシはさ、ここであたしがYESとかNOとか言ったら、それで終わりなのか?」
「まあ、妹も嘘だったが、お前が助けてくれたから俺がここにいる事実は変わらねえ。お前が俺と結ばれてくれるまでNOの返事は全部無かったことにしといてやるよ」
「ばーか」
「それよりさ、マトモな職業に就かないか?俺ら、もう悪党を働く理由が無いんだぜ」
「…ま、それもそうだな。」
「俺の行きつけのバーももう行けないが、昔この国でよく一緒に飲んでた仲間がいる。きっと今週末もいるだろう。そこで仕事探そうぜ」
「いいな、それ。もうあたしは自由なんだよな」
「もちろん、俺の彼女として紹介するからな、じゃないと色々面倒くさい連中だからな」
「類は友を呼ぶってヤツだな」
「Exactly!」
こうやって、アキとヨシはトモエやみどりのことを一旦忘れ、他の国へと渡ったのだった。長く続くと思われた悪党としての生活をも忘れることができるかは、彼女たちの巡り合わせによるだろう。
(了)
「あんたの記憶はあたしが作った。あんたはあたしのもんだ。そして、体はみどりのもんだ。あんたの魂を、あんたの体に戻そうじゃないか。あんたの体は健康体になった上で他のところに再度冷凍保存してある。さあ、その体をみどりに返せ。」
「な、なに言ってるの?!私の体は」
「あんたの魂と命は、もう元の体にあるべきだ。あたしが消しちまったが、あんたは健康体になりたいって望んだじゃないか。その願いを叶えるために、あたしは文字通り命張って」
ユキヒロは何も言わなかった。が、ムラキは言った。
「トモエ…行きな。あんたの体があんたのものじゃないとは、実は知ってはいたんだ。だが、元の体が無いままでそんなことを言うなんて残酷すぎるから黙ってたんだ。さあ、行け。命令だ。聞けよ。」
「私はあんな悪党とは一緒には…」
「あそこまでしてくれちゃった奴を悪党だと?ちゃんと元に戻してもらってから文句言いな。あんたが生きてるのは誰かのおかげだと私は思ってきた。それが、私たちが捕まえようとしていたあいつらだったんだ。捕まえることと、あんたが助かることは、別の次元のことだろう?」
「ちょーーーっと違うね、全部、あたしのやったことだ!文句は絶対言わせねえ!黙ってついてこい!そうでなければ」ヨシが縄をトモエの、いや、みどりの体に放り投げて捕まえ、車に乗せた。「ちょっとこいつ借りるよ」「ムラキさん!ちょっと、私全然納得できな…」ヨシがガムテープでトモエの口だけを丁寧にふさぐ。「うるさいのは嫌いなんだ、黙ってな」
「バカ!一時間もこんな…」「これでも飲んで落ち着いてな」三人はトモエの屋敷にいた。ユキヒロは行きたがったが、ムラキという上司の権限で黙らせたらしい。
「ヨシ、病院に行ってこい。妹だと思っていたあの女の子はな、」
「みどりなんだろ?」
「ものわかりいいじゃねーか、随分今日はいい子で」
「これが終わったらさ、アキはどうするつもりなんだ?」
「…ヨシも来るか?あたしはもうここにはいられねー。」
古い機材を出して、アキはそれを、トモエに繋いだ。
ヨシは、病院から「みどり」の体を連れ持ち出してきた。「俺たちがやり合ったみどりっていうのは…」
「あれはカシが作った失敗作だ。本物はこっちさ…」
みどりの体をさしてそう言った。
「みどりはな、本来生きていなかったが電子の渦に巻き込まれる事故で一度命を失いかけて、あたしたちと同じ体になった。それから…色々あって生きるのを一度休みたいと言い出したんだ…」
「それで寝込んでたのか」 「いや、命と魂を置いて、ネットワークの中に意識と、不完全な記憶をしまいこんで、行ってしまったんだ。つまり、知らない相手じゃなかったんだ。ただ、あんな風に変わってしまったとは思いもしなかった。」
「みどりの身体だけが、正確に時を刻んでいたってことなのか?」
ヨシはふとそう言った。
「そうだ。ただ、みどりは私たちのうち一番年下だった。だから、今の私と同い年くらいの見た目になっているのさ」
「と、いうことはアキたちがコールドスリープにいたのは」
「金が無かったからね、たったの数年ってことだ」
「だから、強盗みたいなことをやりだしたのか」
「そうだよ。金がなきゃ、トモエやみどりを助けてやれないだろう?」
「アキは、そのためだけに…カシが嫉妬したのはもしかしたら、」
「そうなんだろうな。あたしがずっと気にしてたのはカシのことじゃなくて、トモエのことだったからな。」
「さて、さっさと病院行って来い…」
「できねーんだけど。生命装置とか、モニタリング取ってんの忘れたか?」
「あー…。」
「俺らが面会って形で行くしかないんだよ」
「ヨシ、トモエの縄を解け」
「わ、私…」トモエは髪を揺らして何か言おうとした。「オッケー。じゃ、行くんだな」「もち」ヨシは一言、トモエに付け加えた。「逃げたらタダじゃすまさねえからな。俺はお前のこと全然信用してねえんだ、悪いなあ」
「クルマに乗れ。悪いが、乗ってる間は手足の自由を制限させてもらう。」
「ヨシ…」
「アキにとっては大事な人物なんだろうが、これは無事に終わらせなくてはならないことだ。」
「あたしに口を出せるようになったんだな、いいことだ。」
ヨシはその発言に違和感を覚えたが、ここは無視しておくことにした。
流れる景色。
「病院は近くなんだ。すぐ着くさ…」
ヨシとアキは病院に着くなり、ずっとキーボードを叩いていた。もうやるべきことはひとつだけだけれど。
ことがすべて、終わってしまった時、トモエは涙を流した。忘れていた出来事が、全部目の前にあった。「みどりはもうこれで死んでしまった…」
「いいんだよ、みどりはな、"もう死んでたんだ"。それに、生きてるのが嫌だったんだ。生きていたい奴と生きていたくない奴が二人、揃ったからこんなことをしたのさ。生きていたくない奴の身体が役に立っただけのことだ。あたしはネットワークの中で不完全なみどりの残骸に再会して、間違ったことをやっていることはもうよくわかったから、もういいんだ。」
「アキ、あなたを恨めばいいのか、感謝すべきなのかわからない」
「…そんなの、自分で決めろよ。好きなようにすればいい。あたしはね、あんたに生きててほしかった。でも、あたしはもう元のあたしじゃない。あんたには同僚や上司がもういる。あたしたちはもうこの街からでていく。あんたは寿命を全うする。それだけで、もう充分だ」
アキは周囲の異変に気がついた。
「ヨシ!行くぞ!」
「もういいのか」
「ああ、いいんだよ。もういいんだ」
窓のそばにいるトモエの髪が少しだけ切り離されて飛んでいく。
「寿命、か、それとも、それがてめーらの正義か」
ヨシはゲートを開いた。そして、2人は肉体ごと、ネットワークに入り、少し遠くに置いてあったクルマに戻った。古い機材は捨てて。
トモエは、後ろからガラス窓を突き破ってきた銃弾に貫かれ、倒れた。意識を失い、そこに落ちていたマシンを拾ったのはムラキだった。
「正義っていうのはね、一滴の墨汁も紙に垂らして汚してはならないものなの。私を憎まないでね、これはもっと上の命令だから逆らったら死体が増えるだけなの」
ユキヒロは頷いて、トモエを電子化するための装置を装着させ、データを抜き取った。
「な、なに言ってるの?!私の体は」
「あんたの魂と命は、もう元の体にあるべきだ。あたしが消しちまったが、あんたは健康体になりたいって望んだじゃないか。その願いを叶えるために、あたしは文字通り命張って」
ユキヒロは何も言わなかった。が、ムラキは言った。
「トモエ…行きな。あんたの体があんたのものじゃないとは、実は知ってはいたんだ。だが、元の体が無いままでそんなことを言うなんて残酷すぎるから黙ってたんだ。さあ、行け。命令だ。聞けよ。」
「私はあんな悪党とは一緒には…」
「あそこまでしてくれちゃった奴を悪党だと?ちゃんと元に戻してもらってから文句言いな。あんたが生きてるのは誰かのおかげだと私は思ってきた。それが、私たちが捕まえようとしていたあいつらだったんだ。捕まえることと、あんたが助かることは、別の次元のことだろう?」
「ちょーーーっと違うね、全部、あたしのやったことだ!文句は絶対言わせねえ!黙ってついてこい!そうでなければ」ヨシが縄をトモエの、いや、みどりの体に放り投げて捕まえ、車に乗せた。「ちょっとこいつ借りるよ」「ムラキさん!ちょっと、私全然納得できな…」ヨシがガムテープでトモエの口だけを丁寧にふさぐ。「うるさいのは嫌いなんだ、黙ってな」
「バカ!一時間もこんな…」「これでも飲んで落ち着いてな」三人はトモエの屋敷にいた。ユキヒロは行きたがったが、ムラキという上司の権限で黙らせたらしい。
「ヨシ、病院に行ってこい。妹だと思っていたあの女の子はな、」
「みどりなんだろ?」
「ものわかりいいじゃねーか、随分今日はいい子で」
「これが終わったらさ、アキはどうするつもりなんだ?」
「…ヨシも来るか?あたしはもうここにはいられねー。」
古い機材を出して、アキはそれを、トモエに繋いだ。
ヨシは、病院から「みどり」の体を連れ持ち出してきた。「俺たちがやり合ったみどりっていうのは…」
「あれはカシが作った失敗作だ。本物はこっちさ…」
みどりの体をさしてそう言った。
「みどりはな、本来生きていなかったが電子の渦に巻き込まれる事故で一度命を失いかけて、あたしたちと同じ体になった。それから…色々あって生きるのを一度休みたいと言い出したんだ…」
「それで寝込んでたのか」 「いや、命と魂を置いて、ネットワークの中に意識と、不完全な記憶をしまいこんで、行ってしまったんだ。つまり、知らない相手じゃなかったんだ。ただ、あんな風に変わってしまったとは思いもしなかった。」
「みどりの身体だけが、正確に時を刻んでいたってことなのか?」
ヨシはふとそう言った。
「そうだ。ただ、みどりは私たちのうち一番年下だった。だから、今の私と同い年くらいの見た目になっているのさ」
「と、いうことはアキたちがコールドスリープにいたのは」
「金が無かったからね、たったの数年ってことだ」
「だから、強盗みたいなことをやりだしたのか」
「そうだよ。金がなきゃ、トモエやみどりを助けてやれないだろう?」
「アキは、そのためだけに…カシが嫉妬したのはもしかしたら、」
「そうなんだろうな。あたしがずっと気にしてたのはカシのことじゃなくて、トモエのことだったからな。」
「さて、さっさと病院行って来い…」
「できねーんだけど。生命装置とか、モニタリング取ってんの忘れたか?」
「あー…。」
「俺らが面会って形で行くしかないんだよ」
「ヨシ、トモエの縄を解け」
「わ、私…」トモエは髪を揺らして何か言おうとした。「オッケー。じゃ、行くんだな」「もち」ヨシは一言、トモエに付け加えた。「逃げたらタダじゃすまさねえからな。俺はお前のこと全然信用してねえんだ、悪いなあ」
「クルマに乗れ。悪いが、乗ってる間は手足の自由を制限させてもらう。」
「ヨシ…」
「アキにとっては大事な人物なんだろうが、これは無事に終わらせなくてはならないことだ。」
「あたしに口を出せるようになったんだな、いいことだ。」
ヨシはその発言に違和感を覚えたが、ここは無視しておくことにした。
流れる景色。
「病院は近くなんだ。すぐ着くさ…」
ヨシとアキは病院に着くなり、ずっとキーボードを叩いていた。もうやるべきことはひとつだけだけれど。
ことがすべて、終わってしまった時、トモエは涙を流した。忘れていた出来事が、全部目の前にあった。「みどりはもうこれで死んでしまった…」
「いいんだよ、みどりはな、"もう死んでたんだ"。それに、生きてるのが嫌だったんだ。生きていたい奴と生きていたくない奴が二人、揃ったからこんなことをしたのさ。生きていたくない奴の身体が役に立っただけのことだ。あたしはネットワークの中で不完全なみどりの残骸に再会して、間違ったことをやっていることはもうよくわかったから、もういいんだ。」
「アキ、あなたを恨めばいいのか、感謝すべきなのかわからない」
「…そんなの、自分で決めろよ。好きなようにすればいい。あたしはね、あんたに生きててほしかった。でも、あたしはもう元のあたしじゃない。あんたには同僚や上司がもういる。あたしたちはもうこの街からでていく。あんたは寿命を全うする。それだけで、もう充分だ」
アキは周囲の異変に気がついた。
「ヨシ!行くぞ!」
「もういいのか」
「ああ、いいんだよ。もういいんだ」
窓のそばにいるトモエの髪が少しだけ切り離されて飛んでいく。
「寿命、か、それとも、それがてめーらの正義か」
ヨシはゲートを開いた。そして、2人は肉体ごと、ネットワークに入り、少し遠くに置いてあったクルマに戻った。古い機材は捨てて。
トモエは、後ろからガラス窓を突き破ってきた銃弾に貫かれ、倒れた。意識を失い、そこに落ちていたマシンを拾ったのはムラキだった。
「正義っていうのはね、一滴の墨汁も紙に垂らして汚してはならないものなの。私を憎まないでね、これはもっと上の命令だから逆らったら死体が増えるだけなの」
ユキヒロは頷いて、トモエを電子化するための装置を装着させ、データを抜き取った。
無断欠勤は、許されない職業だとはわかっていた。しかし、トモエはずっと自宅に引きこもって調べては手を止めて、ということを繰り返していた。
「これは、どういうことなの…」
アキについて調べようと卒業アルバムを開くと、記憶にある幼少時の自分の顔と、今の自分の顔と、アルバムに載っている顔が、合わないのだった。
「わたしは…」
それに、確か病気を患っていたはずなのに、いつ治ったのかわからないのもこの時に気がついた。記憶がアテにならない。「この体は誰のものなの…?」この家には、口を利かない、仲のあまりよくない父の兄、叔父しかいない。昔からあまり話なんてしない相手だった。「こんなことを話したら頭がおかしくなったと思われるかも」
呼び鈴が鳴った。しかたなく出る。「トモエさん、急に休むなんて聞いてないっすよー、少しくらい頼ってください」いつもトモエを支えてくれるあの同僚の声だった。
携帯で彼は話し続けていた。「すいません、今トモエさんに事情だけでも聞こうと思ってますんで、終わったら戻ります。ええ、10時には」
トモエは静かに緑茶を出した。
彼は電話を切って、トモエに頭を下げた。
「無理矢理来てしまって、すいません。でも…こんなに大きなお屋敷にお住まいだとは思ってもみませんでした。道を聞くまでもなくわかりました。噂には聞いていましたので」
「そうね。…私、自分がすっかり分からなくなってしまったの」「どういうことですか?」「自分の記憶と、そこに転がっている記録が全然かみあわない。例えば…そうだね、私は子供の頃体が悪かったはずなのに、いつ治療が終わったのかわからないし、どうやってよくなったのかさえわからない、そんなところ。残念ながら祖父母も両親も今では死んでしまって、聞く相手がいないんだよね。そして、アキはこの近くに住んでいたはずなのに、仲がよかったような印象は残っているのに、私にはほとんどそういう感じがない」「それは、相手が悪党になってしまったからではないでしょうか」部下は言った。
「そうかもしれないけれど、私、アキが結婚した時に嫉妬したんだよね。でも、何で仲のいい相手でもないのに嫉妬なんか?そこまで関係ないはずだよね?」
「…本当は、仲がよかったのではないかと思っているんですよね、トモエさん」
「…ええ」
「彼女に直接コンタクトを取る意志はありますか」
「ユキヒロくんは、そうするべきだと思っているの」
「自分の記憶を疑うって、そういうことですよ。ただ、確かに矛盾していますね。仲のよい人間同士なら、同じ境遇じゃなくなる相手に嫉妬することも確かにあるでしょうが、トモエさんが仲もよくない人間に対して嫉妬するほど、結婚が重いものとも思いません」「そりゃこの歳にもなれば結婚したいとは思いますけど…ユキヒロくんもけっこう嫌なことを口に出すんだね」
「いいえ、むしろ元々仲がよかったはずの友人を取られたという意味での嫉妬の方が、ありえるんじゃないでしょうか」 トモエは不愉快さを必死で打ち消すかのように、「いや、だから」と何とか発言権を取り戻そうとした。
「とにかくここでいつまでも籠城している訳にもいかないでしょう。上も、トモエさんがネットワーク上で身軽に動けるほどの優秀さを持っているからこそ見逃してはいるものの、このままでは戻った時の立場が悪くなってしまいます。この一週間、トモエさんはずっとここにいたんですよね。何もせずに」
「そりゃ行動に移してさえいない悩みなんて放っておいて仕事しろっていうのもわからなくはないけれど」
「話を聞いてください」
「僕はね、トモエさんの体が他の人のものであることに気がついていたんですよ」
「どういうこと?」
「トモエさんは、自分の姿を見て何とも思いませんでしたか?トモエさんはネットワークに入ると、身長が高くなり、女性にしては…いえ、失礼な言い方ですね…とにかくかなり背が高くなるんですよ。おかしいと思いませんか。僕たちは普段見える姿を維持したまま、電子化されてネットワークに入るはずなんです。それなのに、トモエさんだけが、姿を変えて、そう、まるで別人のような姿に」
「…もういい、結論から言って頂戴」
「以前、広範囲にハッキングを行ったみどりという存在を覚えていらっしゃいますよね。ネットワークに入っていない今のトモエさんの姿は、ネットワーク上にいたみどりによく似ているんです。僕たちはほとんどネットワークに入ることは許されていませんから、ほとんど滲んだような画像しか見ることはできませんでしたが」
「つまり、私の体は」
「そのみどりのものだったのではないでしょうか。しかしこれは推測でしかありません」
トモエは自分の手を、体を見つめた。確かに、トモエはネットワーク上に入ると体が大柄になるが、今のトモエの体はとても小柄だ。こんな部署がなければ、この体では警察学校に入ることができなかっただろう。しかし、子供時代の身体測定のデータを見ると、今の自分の身長には小学生のうちに既に越えていることが、わかっている。縮むはずがない。これは以前から不思議に思っていたことだった。
「しかも、確かめるすべがひとつもない。電子化されたのか、プログラムされたあのみどりは、ネットワーク上で消えてしまったのだから。」
「しかし、電子化されたのであれば本来の"みどりさん"本人の体があるはずです。プログラムであれば、本当にただのプログラムでしかありません。どうやって確かめます?データベースに載っているかどうかは、やってみないとわかりませんが、今のトモエさんの立場ではできないことですよ」
トモエは席を立った。
「わかった、仕事に戻るよ」
「本当ですか?」
「ごめんなさい、今のままぼーっと考え事してても本当に無駄だって事がよくわかったから」
ユキヒロはいそいそと上司に電話をかけ、その間にトモエは自室に戻り準備した。そして、今の関係ではありえなかった、一枚の写真を最後に鞄のポケットへ入れた。
「申し訳ありません!」
「申し訳ないで済まないよ、どんな言い訳もここでは通用しない!」
トモエは頭を下げたまま固まっていた。ユキヒロは遠くから心配して見つめていた。上司は言った。
「だったら、さっさと仕事して頂戴。うちの子たちでは手に負えない小さなトラブルがけっこうあったんだからさ。…もう二度とこんなことしてくれるなよ?」大量のディスクの置かれたデスクを見て、何となくその言葉の意味を理解したトモエは、無言で「居場所」に戻った。
ユキヒロは人差し指を立てて笑顔で言った。「あのですね、手助けは僕の役目ですからね?」上司はそれを見て言った。 「そ、ちゃんと仲間を支えなさい、それがあんたたちの仕事」 トモエは申し訳なさそうに上司に頭を下げた。
「いいんだよー、ちゃんとした仕事してくれりゃあ、あんたの不思議なことも調べる手助けくらいしたって。あんたは有能だ。だから甘いこと言ってるくらいに思いな」
上司はトモエにウインクした。
小さな仕事をコツコツやる。それは基本だと、かつての上司が言っていた。その頃の上司は、今の上司ではなく、男性だった。
トモエは無言でその仕事を少しずつ、確実に、すべてを、片づけていた。
「少しくらい休みなさい、そうでないと」
「長く続かないってことですよね、以前、そう仰ってくださいました」
「…あんたさ、気づいてるのかな」
「え?」
「じーちゃんばーちゃんが亡くなってから、いや、あんたの両親が亡くなってからどのくらい経っているのか」
「どういうことですか?」
「あんたたちがコールドスリープから出る契約はたった数年前のことだったんだよね。記憶がおかしいっていうのは、以前から聞いていた。それがそんなにも大きなものになっているとは、こっちも驚きだ」
「ち、ちょっと、待ってください。私、冷凍保存されていたんですか?」
「スズキアキコという女性も同時に保存されていたが、先に出る契約になっていた」
「アキ?」
「スズキアキコは、どこかからかあんたの体を持ってきたような記録が残っているが、それはどうやら本当らしいね」
「アキが、彼女と私を冷凍保存にかけたってこと?」
「いや、契約者はあんたの父親になっている。」
「私とアキは…本当は仲のいい友達だったってこと?」「そーらしいね。申し訳ないけど、こっちもあんたのいない間に勝手に調べてたもんでね。…そういう関係の記憶が残ってないってことは、たぶん、あんた記憶いじられてる上に、」
「この体は、みどりのものなのね」
「それは、もうどうでもいいことだと思うけれど。しかしね、あんたの身軽さはあの"アキ"と同類なんだよね。そっちの方が大きな問題だよ。はっきり言って、どういう接点であれと一緒に寝かせられていたのか、そしてどういう理由で記憶を書き換えたのかわからないんだよね。」
地面から、ひどい揺れが押し寄せた。
「地震?!」
窓が突然開いて、外からアキが現れた。
「よう、あんたを取り返しに来た」
「これは、どういうことなの…」
アキについて調べようと卒業アルバムを開くと、記憶にある幼少時の自分の顔と、今の自分の顔と、アルバムに載っている顔が、合わないのだった。
「わたしは…」
それに、確か病気を患っていたはずなのに、いつ治ったのかわからないのもこの時に気がついた。記憶がアテにならない。「この体は誰のものなの…?」この家には、口を利かない、仲のあまりよくない父の兄、叔父しかいない。昔からあまり話なんてしない相手だった。「こんなことを話したら頭がおかしくなったと思われるかも」
呼び鈴が鳴った。しかたなく出る。「トモエさん、急に休むなんて聞いてないっすよー、少しくらい頼ってください」いつもトモエを支えてくれるあの同僚の声だった。
携帯で彼は話し続けていた。「すいません、今トモエさんに事情だけでも聞こうと思ってますんで、終わったら戻ります。ええ、10時には」
トモエは静かに緑茶を出した。
彼は電話を切って、トモエに頭を下げた。
「無理矢理来てしまって、すいません。でも…こんなに大きなお屋敷にお住まいだとは思ってもみませんでした。道を聞くまでもなくわかりました。噂には聞いていましたので」
「そうね。…私、自分がすっかり分からなくなってしまったの」「どういうことですか?」「自分の記憶と、そこに転がっている記録が全然かみあわない。例えば…そうだね、私は子供の頃体が悪かったはずなのに、いつ治療が終わったのかわからないし、どうやってよくなったのかさえわからない、そんなところ。残念ながら祖父母も両親も今では死んでしまって、聞く相手がいないんだよね。そして、アキはこの近くに住んでいたはずなのに、仲がよかったような印象は残っているのに、私にはほとんどそういう感じがない」「それは、相手が悪党になってしまったからではないでしょうか」部下は言った。
「そうかもしれないけれど、私、アキが結婚した時に嫉妬したんだよね。でも、何で仲のいい相手でもないのに嫉妬なんか?そこまで関係ないはずだよね?」
「…本当は、仲がよかったのではないかと思っているんですよね、トモエさん」
「…ええ」
「彼女に直接コンタクトを取る意志はありますか」
「ユキヒロくんは、そうするべきだと思っているの」
「自分の記憶を疑うって、そういうことですよ。ただ、確かに矛盾していますね。仲のよい人間同士なら、同じ境遇じゃなくなる相手に嫉妬することも確かにあるでしょうが、トモエさんが仲もよくない人間に対して嫉妬するほど、結婚が重いものとも思いません」「そりゃこの歳にもなれば結婚したいとは思いますけど…ユキヒロくんもけっこう嫌なことを口に出すんだね」
「いいえ、むしろ元々仲がよかったはずの友人を取られたという意味での嫉妬の方が、ありえるんじゃないでしょうか」 トモエは不愉快さを必死で打ち消すかのように、「いや、だから」と何とか発言権を取り戻そうとした。
「とにかくここでいつまでも籠城している訳にもいかないでしょう。上も、トモエさんがネットワーク上で身軽に動けるほどの優秀さを持っているからこそ見逃してはいるものの、このままでは戻った時の立場が悪くなってしまいます。この一週間、トモエさんはずっとここにいたんですよね。何もせずに」
「そりゃ行動に移してさえいない悩みなんて放っておいて仕事しろっていうのもわからなくはないけれど」
「話を聞いてください」
「僕はね、トモエさんの体が他の人のものであることに気がついていたんですよ」
「どういうこと?」
「トモエさんは、自分の姿を見て何とも思いませんでしたか?トモエさんはネットワークに入ると、身長が高くなり、女性にしては…いえ、失礼な言い方ですね…とにかくかなり背が高くなるんですよ。おかしいと思いませんか。僕たちは普段見える姿を維持したまま、電子化されてネットワークに入るはずなんです。それなのに、トモエさんだけが、姿を変えて、そう、まるで別人のような姿に」
「…もういい、結論から言って頂戴」
「以前、広範囲にハッキングを行ったみどりという存在を覚えていらっしゃいますよね。ネットワークに入っていない今のトモエさんの姿は、ネットワーク上にいたみどりによく似ているんです。僕たちはほとんどネットワークに入ることは許されていませんから、ほとんど滲んだような画像しか見ることはできませんでしたが」
「つまり、私の体は」
「そのみどりのものだったのではないでしょうか。しかしこれは推測でしかありません」
トモエは自分の手を、体を見つめた。確かに、トモエはネットワーク上に入ると体が大柄になるが、今のトモエの体はとても小柄だ。こんな部署がなければ、この体では警察学校に入ることができなかっただろう。しかし、子供時代の身体測定のデータを見ると、今の自分の身長には小学生のうちに既に越えていることが、わかっている。縮むはずがない。これは以前から不思議に思っていたことだった。
「しかも、確かめるすべがひとつもない。電子化されたのか、プログラムされたあのみどりは、ネットワーク上で消えてしまったのだから。」
「しかし、電子化されたのであれば本来の"みどりさん"本人の体があるはずです。プログラムであれば、本当にただのプログラムでしかありません。どうやって確かめます?データベースに載っているかどうかは、やってみないとわかりませんが、今のトモエさんの立場ではできないことですよ」
トモエは席を立った。
「わかった、仕事に戻るよ」
「本当ですか?」
「ごめんなさい、今のままぼーっと考え事してても本当に無駄だって事がよくわかったから」
ユキヒロはいそいそと上司に電話をかけ、その間にトモエは自室に戻り準備した。そして、今の関係ではありえなかった、一枚の写真を最後に鞄のポケットへ入れた。
「申し訳ありません!」
「申し訳ないで済まないよ、どんな言い訳もここでは通用しない!」
トモエは頭を下げたまま固まっていた。ユキヒロは遠くから心配して見つめていた。上司は言った。
「だったら、さっさと仕事して頂戴。うちの子たちでは手に負えない小さなトラブルがけっこうあったんだからさ。…もう二度とこんなことしてくれるなよ?」大量のディスクの置かれたデスクを見て、何となくその言葉の意味を理解したトモエは、無言で「居場所」に戻った。
ユキヒロは人差し指を立てて笑顔で言った。「あのですね、手助けは僕の役目ですからね?」上司はそれを見て言った。 「そ、ちゃんと仲間を支えなさい、それがあんたたちの仕事」 トモエは申し訳なさそうに上司に頭を下げた。
「いいんだよー、ちゃんとした仕事してくれりゃあ、あんたの不思議なことも調べる手助けくらいしたって。あんたは有能だ。だから甘いこと言ってるくらいに思いな」
上司はトモエにウインクした。
小さな仕事をコツコツやる。それは基本だと、かつての上司が言っていた。その頃の上司は、今の上司ではなく、男性だった。
トモエは無言でその仕事を少しずつ、確実に、すべてを、片づけていた。
「少しくらい休みなさい、そうでないと」
「長く続かないってことですよね、以前、そう仰ってくださいました」
「…あんたさ、気づいてるのかな」
「え?」
「じーちゃんばーちゃんが亡くなってから、いや、あんたの両親が亡くなってからどのくらい経っているのか」
「どういうことですか?」
「あんたたちがコールドスリープから出る契約はたった数年前のことだったんだよね。記憶がおかしいっていうのは、以前から聞いていた。それがそんなにも大きなものになっているとは、こっちも驚きだ」
「ち、ちょっと、待ってください。私、冷凍保存されていたんですか?」
「スズキアキコという女性も同時に保存されていたが、先に出る契約になっていた」
「アキ?」
「スズキアキコは、どこかからかあんたの体を持ってきたような記録が残っているが、それはどうやら本当らしいね」
「アキが、彼女と私を冷凍保存にかけたってこと?」
「いや、契約者はあんたの父親になっている。」
「私とアキは…本当は仲のいい友達だったってこと?」「そーらしいね。申し訳ないけど、こっちもあんたのいない間に勝手に調べてたもんでね。…そういう関係の記憶が残ってないってことは、たぶん、あんた記憶いじられてる上に、」
「この体は、みどりのものなのね」
「それは、もうどうでもいいことだと思うけれど。しかしね、あんたの身軽さはあの"アキ"と同類なんだよね。そっちの方が大きな問題だよ。はっきり言って、どういう接点であれと一緒に寝かせられていたのか、そしてどういう理由で記憶を書き換えたのかわからないんだよね。」
地面から、ひどい揺れが押し寄せた。
「地震?!」
窓が突然開いて、外からアキが現れた。
「よう、あんたを取り返しに来た」
「なんだよアキ、けっこう飲めるんだな」
「好き好んで飲まないだけだよ、体に悪いだろ?」
「けっこう健康志向なんだな」
「…まあね」
「今日はあの学校エリアのネットワークがダウンして、ひどい目にあったから飲んで帰って寝る!」紺のワンピースを着た、カウンターに座った二人組はそんなお喋りをしていた。アキはその横顔を見て驚いた。「トモエ…」隣の女性が気づく。
「あら、あなたトモエさんをご存知なの?よく似ているって言われていたわ」「今も充分そっくりだと思うけど」「まあ、なに?行方不明になったという話だし、きっともう言われないと思うわよ」「…亡くなったとかですか?」「いいえ、それが…よくわからないらしいのよね」そういえば、昨日のカシの件では顔を出していない。アキは驚いていた。
その女性ははっとしてアキを見つめた。「あなたは?」「いえ、ちょっと顔を合わせたことがあるだけの知人です」
「あの…」「これ以上は話せません。おい、行くぞ」「ん?なんだよ、もう一軒行くか?」「それでもいい。行くぞ」
カードで支払いを済ませ、二人は店を出た。「何なんだよ」ヨシは困惑して言った。「トモエがいなくなったらしい」「別に関係ないだろ?」ヨシはアキの首に腕を回したが、アキは静かに言った。「…まあ、今や関係ないのは間違いないんだけどさ」
「じゃ、もう一軒行っとくか!」首に回した腕をゆるめ、アキの肩に手を置いた威勢良くヨシは言い、アキは答えた。「ああ、行こうか」アキは無表情だった。
ヨシはもう一度、腕をしめつけてアキの頬に顔を近づけ、アキの髪を撫でた。「なんだよ!なあ、…あたしがYESと答えたり、NOと言ったら解散か?そういうもんか?」「そんなことねーよ」「だよな!」アキはいつものように、気の強い笑顔を見せるのだった。
夜は更けていく。風はもう冷たくなっていた。
「好き好んで飲まないだけだよ、体に悪いだろ?」
「けっこう健康志向なんだな」
「…まあね」
「今日はあの学校エリアのネットワークがダウンして、ひどい目にあったから飲んで帰って寝る!」紺のワンピースを着た、カウンターに座った二人組はそんなお喋りをしていた。アキはその横顔を見て驚いた。「トモエ…」隣の女性が気づく。
「あら、あなたトモエさんをご存知なの?よく似ているって言われていたわ」「今も充分そっくりだと思うけど」「まあ、なに?行方不明になったという話だし、きっともう言われないと思うわよ」「…亡くなったとかですか?」「いいえ、それが…よくわからないらしいのよね」そういえば、昨日のカシの件では顔を出していない。アキは驚いていた。
その女性ははっとしてアキを見つめた。「あなたは?」「いえ、ちょっと顔を合わせたことがあるだけの知人です」
「あの…」「これ以上は話せません。おい、行くぞ」「ん?なんだよ、もう一軒行くか?」「それでもいい。行くぞ」
カードで支払いを済ませ、二人は店を出た。「何なんだよ」ヨシは困惑して言った。「トモエがいなくなったらしい」「別に関係ないだろ?」ヨシはアキの首に腕を回したが、アキは静かに言った。「…まあ、今や関係ないのは間違いないんだけどさ」
「じゃ、もう一軒行っとくか!」首に回した腕をゆるめ、アキの肩に手を置いた威勢良くヨシは言い、アキは答えた。「ああ、行こうか」アキは無表情だった。
ヨシはもう一度、腕をしめつけてアキの頬に顔を近づけ、アキの髪を撫でた。「なんだよ!なあ、…あたしがYESと答えたり、NOと言ったら解散か?そういうもんか?」「そんなことねーよ」「だよな!」アキはいつものように、気の強い笑顔を見せるのだった。
夜は更けていく。風はもう冷たくなっていた。
白と灰色の古い思い出の中で、その女の子は一人で携帯をいじっていた。白いリネンの中、彼女は最後に送信ボタンを押して、目を閉じた。この病院の就寝時間はとっくに過ぎていた。その日は、金曜日だった。夜、彼女が眠っている間に、そのメールの返事は届いた。
枕元に置いたタオルの下で、携帯が短く震え、彼女は一瞬目を醒ました。しかし、彼女はまだ小さく幼かったのでそのまま寝入ってしまった。
朝、採血のために声をかけられ目を醒ますと、少し立体的な雲の陰のはっきりした空が遠くに見えた。彼女は窓際のベッドで、慣れた風に採血をしてもらい、小さな絆創膏を上から押さえた。朝食の出される7時まではまだ少し間があった。短く切りそろえた髪を揺らして、携帯電話を起動すると、小さなアイコンが着信を知らせていた。
彼女は食事が減って、日に日にやせ細っていった。彼女はあらかじめ知らされたその現実を受け入れ、それが自然なことだと思っていた。
友人は一人一人、少しずつ来なくなっていった。そしてまた、それを悲しむような余裕は無くなっていった。彼女は6人部屋から4人部屋へ、2人部屋へと少しずつ移動されていっていた。
「ねえ、あんた悲しくないの」
マスクをかけた制服姿の女の子が、話しかける。
「何が」
もはやベッドに横たわるしかできなくなった彼女は、無気力に笑って言った。
「あのさ、金曜日のメールって知ってる?」
「知ってる。今頃何を言ってるの?みんなあの気味の悪いメールなんか常識で、もう話題にすらならないじゃない」
「私、あんたがこのままいなくなってしまうなんて辛いよ」
「知ってて友達になったんじゃなかったっけ?…ほら、3時過ぎにはおばさまが来るから、帰らないとまた怒鳴られるよ。おばさまのこと、あまり嫌わないで。早くに寿命が終わってしまうわたしと、仲良くする人がいるとその人が悲しむからああやって…近くに人が寄らないようにしているのだから」
彼女は、息が苦しくならないように、少しずつ、声を出した。
「あの人は、自分たちが財産を早くに継げるからそうしてるんだよ」
制服を着た女の子は怒って、立ち上がった。
彼女は言った。「それで、あのメールのこと知ってるんでしょ、あなたはどうするの」
「私は、あのメールの言う通りにする。他にはもうない」
「一緒にいてくれるの?ありがとう」
彼女は笑った。
「金曜日の夜、起きていようね」
二人は約束した。
金曜日の夜が訪れた。
その時、彼女は昏睡状態にあった。
その時、女の子は目を醒ましていたが、彼女の状況は知らされていなかった。家族ではなかったから。
22時が訪れた。 既に死の扉を開いた彼女は少しずつからだを失っていった。個室のテーブルの上に置かれた携帯電話から、「あの不思議なメール」とのやりとりが消えていった。
制服を着たままの女の子もまた、少しずつからだを失っていった。枕元に置いてあった携帯電話から、「あの不思議なメール」とのやりとりが消えていった。
小さな声が聞こえる。
「あなたたちが一緒にいられるようにしてあげる」
その文字が細かな数列になって、また更に数列が小さく分裂していき、消えていく。
「お願いします、私たちは一緒にいたいんです」
その文字が細かな数列になって、また更に数列が小さく分裂していき、そして小さな0と1になって消えていく。
「できるならやってほしい、どうか力になってください」
その文字が細かな数列になって、また更に数列が小さく分裂していき、そして小さな0と1になって消えていく。
2人は夢のような暗闇の中、手をつないでいた。知っているひとの顔が浮かんでは細かな数列になって、あらゆる記憶が小さな0と1になって消えていく。
女の子はひとつの姿にふと手を伸ばした。「お別れだね」
すると彼女は女の子を激しく罵った。「わたしが、健康じゃなかった間に、あなたは他の人に目を向けていたの?わたしを独りにしないって言ったじゃない、嘘つき!」彼女は女の子の手を離した。「もう会いたくない、ここから消えて!」
すると、女の子は冷たくなったベッドの上で目を醒ました。既に朝だった。女の子は、お昼すぎに病室を訪れた時に、彼女がいなくなったことを知ってひどく嘆いた。
しかし彼女はその病室を出ると、暗く暖かなところにいた。
「おはよう、新しくここに来てくれた子だね。改めて、名前を聞かせてくれるかな」
「 」
「そう、こちらも改めてご挨拶を。雨と申します。よろしくね。」
彼女はそこで意識を失い、眠るのだった。