無断欠勤は、許されない職業だとはわかっていた。しかし、トモエはずっと自宅に引きこもって調べては手を止めて、ということを繰り返していた。「これは、どういうことなの…」アキについて調べようと卒業アルバムを開くと、記憶にある幼少時の自分の顔と、今の自分の顔と、アルバムに載っている顔が、合わないのだった。「わたしは…」それに、確か病気を患っていたはずなのに、いつ治ったのかわからないのもこの時に気がついた。記憶がアテにならない。「この体は誰のものなの…?」この家には、口を利かない、仲のあまりよくない父の兄、叔父しかいない。昔からあまり話なんてしない相手だった。「こんなことを話したら頭がおかしくなったと思われるかも」呼び鈴が鳴った。しかたなく出る。「トモエさん、急に休むなんて聞いてないっすよー、少しくらい頼ってください」いつもトモエを支えてくれるあの同僚の声だった。携帯で彼は話し続けていた。「すいません、今トモエさんに事情だけでも聞こうと思ってますんで、終わったら戻ります。ええ、10時には」トモエは静かに緑茶を出した。彼は電話を切って、トモエに頭を下げた。「無理矢理来てしまって、すいません。でも…こんなに大きなお屋敷にお住まいだとは思ってもみませんでした。道を聞くまでもなくわかりました。噂には聞いていましたので」「そうね。…私、自分がすっかり分からなくなってしまったの」「どういうことですか?」「自分の記憶と、そこに転がっている記録が全然かみあわない。例えば…そうだね、私は子供の頃体が悪かったはずなのに、いつ治療が終わったのかわからないし、どうやってよくなったのかさえわからない、そんなところ。残念ながら祖父母も両親も今では死んでしまって、聞く相手がいないんだよね。そして、アキはこの近くに住んでいたはずなのに、仲がよかったような印象は残っているのに、私にはほとんどそういう感じがない」「それは、相手が悪党になってしまったからではないでしょうか」部下は言った。「そうかもしれないけれど、私、アキが結婚した時に嫉妬したんだよね。でも、何で仲のいい相手でもないのに嫉妬なんか?そこまで関係ないはずだよね?」「…本当は、仲がよかったのではないかと思っているんですよね、トモエさん」「…ええ」「彼女に直接コンタクトを取る意志はありますか」「ユキヒロくんは、そうするべきだと思っているの」「自分の記憶を疑うって、そういうことですよ。ただ、確かに矛盾していますね。仲のよい人間同士なら、同じ境遇じゃなくなる相手に嫉妬することも確かにあるでしょうが、トモエさんが仲もよくない人間に対して嫉妬するほど、結婚が重いものとも思いません」「そりゃこの歳にもなれば結婚したいとは思いますけど…ユキヒロくんもけっこう嫌なことを口に出すんだね」「いいえ、むしろ元々仲がよかったはずの友人を取られたという意味での嫉妬の方が、ありえるんじゃないでしょうか」 トモエは不愉快さを必死で打ち消すかのように、「いや、だから」と何とか発言権を取り戻そうとした。「とにかくここでいつまでも籠城している訳にもいかないでしょう。上も、トモエさんがネットワーク上で身軽に動けるほどの優秀さを持っているからこそ見逃してはいるものの、このままでは戻った時の立場が悪くなってしまいます。この一週間、トモエさんはずっとここにいたんですよね。何もせずに」「そりゃ行動に移してさえいない悩みなんて放っておいて仕事しろっていうのもわからなくはないけれど」「話を聞いてください」「僕はね、トモエさんの体が他の人のものであることに気がついていたんですよ」「どういうこと?」「トモエさんは、自分の姿を見て何とも思いませんでしたか?トモエさんはネットワークに入ると、身長が高くなり、女性にしては…いえ、失礼な言い方ですね…とにかくかなり背が高くなるんですよ。おかしいと思いませんか。僕たちは普段見える姿を維持したまま、電子化されてネットワークに入るはずなんです。それなのに、トモエさんだけが、姿を変えて、そう、まるで別人のような姿に」「…もういい、結論から言って頂戴」「以前、広範囲にハッキングを行ったみどりという存在を覚えていらっしゃいますよね。ネットワークに入っていない今のトモエさんの姿は、ネットワーク上にいたみどりによく似ているんです。僕たちはほとんどネットワークに入ることは許されていませんから、ほとんど滲んだような画像しか見ることはできませんでしたが」「つまり、私の体は」「そのみどりのものだったのではないでしょうか。しかしこれは推測でしかありません」トモエは自分の手を、体を見つめた。確かに、トモエはネットワーク上に入ると体が大柄になるが、今のトモエの体はとても小柄だ。こんな部署がなければ、この体では警察学校に入ることができなかっただろう。しかし、子供時代の身体測定のデータを見ると、今の自分の身長には小学生のうちに既に越えていることが、わかっている。縮むはずがない。これは以前から不思議に思っていたことだった。「しかも、確かめるすべがひとつもない。電子化されたのか、プログラムされたあのみどりは、ネットワーク上で消えてしまったのだから。」「しかし、電子化されたのであれば本来の"みどりさん"本人の体があるはずです。プログラムであれば、本当にただのプログラムでしかありません。どうやって確かめます?データベースに載っているかどうかは、やってみないとわかりませんが、今のトモエさんの立場ではできないことですよ」トモエは席を立った。「わかった、仕事に戻るよ」「本当ですか?」「ごめんなさい、今のままぼーっと考え事してても本当に無駄だって事がよくわかったから」ユキヒロはいそいそと上司に電話をかけ、その間にトモエは自室に戻り準備した。そして、今の関係ではありえなかった、一枚の写真を最後に鞄のポケットへ入れた。「申し訳ありません!」「申し訳ないで済まないよ、どんな言い訳もここでは通用しない!」トモエは頭を下げたまま固まっていた。ユキヒロは遠くから心配して見つめていた。上司は言った。「だったら、さっさと仕事して頂戴。うちの子たちでは手に負えない小さなトラブルがけっこうあったんだからさ。…もう二度とこんなことしてくれるなよ?」大量のディスクの置かれたデスクを見て、何となくその言葉の意味を理解したトモエは、無言で「居場所」に戻った。ユキヒロは人差し指を立てて笑顔で言った。「あのですね、手助けは僕の役目ですからね?」上司はそれを見て言った。 「そ、ちゃんと仲間を支えなさい、それがあんたたちの仕事」 トモエは申し訳なさそうに上司に頭を下げた。「いいんだよー、ちゃんとした仕事してくれりゃあ、あんたの不思議なことも調べる手助けくらいしたって。あんたは有能だ。だから甘いこと言ってるくらいに思いな」上司はトモエにウインクした。小さな仕事をコツコツやる。それは基本だと、かつての上司が言っていた。その頃の上司は、今の上司ではなく、男性だった。トモエは無言でその仕事を少しずつ、確実に、すべてを、片づけていた。「少しくらい休みなさい、そうでないと」「長く続かないってことですよね、以前、そう仰ってくださいました」「…あんたさ、気づいてるのかな」「え?」「じーちゃんばーちゃんが亡くなってから、いや、あんたの両親が亡くなってからどのくらい経っているのか」「どういうことですか?」「あんたたちがコールドスリープから出る契約はたった数年前のことだったんだよね。記憶がおかしいっていうのは、以前から聞いていた。それがそんなにも大きなものになっているとは、こっちも驚きだ」「ち、ちょっと、待ってください。私、冷凍保存されていたんですか?」「スズキアキコという女性も同時に保存されていたが、先に出る契約になっていた」「アキ?」「スズキアキコは、どこかからかあんたの体を持ってきたような記録が残っているが、それはどうやら本当らしいね」「アキが、彼女と私を冷凍保存にかけたってこと?」「いや、契約者はあんたの父親になっている。」「私とアキは…本当は仲のいい友達だったってこと?」「そーらしいね。申し訳ないけど、こっちもあんたのいない間に勝手に調べてたもんでね。…そういう関係の記憶が残ってないってことは、たぶん、あんた記憶いじられてる上に、」「この体は、みどりのものなのね」「それは、もうどうでもいいことだと思うけれど。しかしね、あんたの身軽さはあの"アキ"と同類なんだよね。そっちの方が大きな問題だよ。はっきり言って、どういう接点であれと一緒に寝かせられていたのか、そしてどういう理由で記憶を書き換えたのかわからないんだよね。」地面から、ひどい揺れが押し寄せた。「地震?!」窓が突然開いて、外からアキが現れた。「よう、あんたを取り返しに来た」 2024.4.25(Thu) 10:15:12 電子世界1
「これは、どういうことなの…」
アキについて調べようと卒業アルバムを開くと、記憶にある幼少時の自分の顔と、今の自分の顔と、アルバムに載っている顔が、合わないのだった。
「わたしは…」
それに、確か病気を患っていたはずなのに、いつ治ったのかわからないのもこの時に気がついた。記憶がアテにならない。「この体は誰のものなの…?」この家には、口を利かない、仲のあまりよくない父の兄、叔父しかいない。昔からあまり話なんてしない相手だった。「こんなことを話したら頭がおかしくなったと思われるかも」
呼び鈴が鳴った。しかたなく出る。「トモエさん、急に休むなんて聞いてないっすよー、少しくらい頼ってください」いつもトモエを支えてくれるあの同僚の声だった。
携帯で彼は話し続けていた。「すいません、今トモエさんに事情だけでも聞こうと思ってますんで、終わったら戻ります。ええ、10時には」
トモエは静かに緑茶を出した。
彼は電話を切って、トモエに頭を下げた。
「無理矢理来てしまって、すいません。でも…こんなに大きなお屋敷にお住まいだとは思ってもみませんでした。道を聞くまでもなくわかりました。噂には聞いていましたので」
「そうね。…私、自分がすっかり分からなくなってしまったの」「どういうことですか?」「自分の記憶と、そこに転がっている記録が全然かみあわない。例えば…そうだね、私は子供の頃体が悪かったはずなのに、いつ治療が終わったのかわからないし、どうやってよくなったのかさえわからない、そんなところ。残念ながら祖父母も両親も今では死んでしまって、聞く相手がいないんだよね。そして、アキはこの近くに住んでいたはずなのに、仲がよかったような印象は残っているのに、私にはほとんどそういう感じがない」「それは、相手が悪党になってしまったからではないでしょうか」部下は言った。
「そうかもしれないけれど、私、アキが結婚した時に嫉妬したんだよね。でも、何で仲のいい相手でもないのに嫉妬なんか?そこまで関係ないはずだよね?」
「…本当は、仲がよかったのではないかと思っているんですよね、トモエさん」
「…ええ」
「彼女に直接コンタクトを取る意志はありますか」
「ユキヒロくんは、そうするべきだと思っているの」
「自分の記憶を疑うって、そういうことですよ。ただ、確かに矛盾していますね。仲のよい人間同士なら、同じ境遇じゃなくなる相手に嫉妬することも確かにあるでしょうが、トモエさんが仲もよくない人間に対して嫉妬するほど、結婚が重いものとも思いません」「そりゃこの歳にもなれば結婚したいとは思いますけど…ユキヒロくんもけっこう嫌なことを口に出すんだね」
「いいえ、むしろ元々仲がよかったはずの友人を取られたという意味での嫉妬の方が、ありえるんじゃないでしょうか」 トモエは不愉快さを必死で打ち消すかのように、「いや、だから」と何とか発言権を取り戻そうとした。
「とにかくここでいつまでも籠城している訳にもいかないでしょう。上も、トモエさんがネットワーク上で身軽に動けるほどの優秀さを持っているからこそ見逃してはいるものの、このままでは戻った時の立場が悪くなってしまいます。この一週間、トモエさんはずっとここにいたんですよね。何もせずに」
「そりゃ行動に移してさえいない悩みなんて放っておいて仕事しろっていうのもわからなくはないけれど」
「話を聞いてください」
「僕はね、トモエさんの体が他の人のものであることに気がついていたんですよ」
「どういうこと?」
「トモエさんは、自分の姿を見て何とも思いませんでしたか?トモエさんはネットワークに入ると、身長が高くなり、女性にしては…いえ、失礼な言い方ですね…とにかくかなり背が高くなるんですよ。おかしいと思いませんか。僕たちは普段見える姿を維持したまま、電子化されてネットワークに入るはずなんです。それなのに、トモエさんだけが、姿を変えて、そう、まるで別人のような姿に」
「…もういい、結論から言って頂戴」
「以前、広範囲にハッキングを行ったみどりという存在を覚えていらっしゃいますよね。ネットワークに入っていない今のトモエさんの姿は、ネットワーク上にいたみどりによく似ているんです。僕たちはほとんどネットワークに入ることは許されていませんから、ほとんど滲んだような画像しか見ることはできませんでしたが」
「つまり、私の体は」
「そのみどりのものだったのではないでしょうか。しかしこれは推測でしかありません」
トモエは自分の手を、体を見つめた。確かに、トモエはネットワーク上に入ると体が大柄になるが、今のトモエの体はとても小柄だ。こんな部署がなければ、この体では警察学校に入ることができなかっただろう。しかし、子供時代の身体測定のデータを見ると、今の自分の身長には小学生のうちに既に越えていることが、わかっている。縮むはずがない。これは以前から不思議に思っていたことだった。
「しかも、確かめるすべがひとつもない。電子化されたのか、プログラムされたあのみどりは、ネットワーク上で消えてしまったのだから。」
「しかし、電子化されたのであれば本来の"みどりさん"本人の体があるはずです。プログラムであれば、本当にただのプログラムでしかありません。どうやって確かめます?データベースに載っているかどうかは、やってみないとわかりませんが、今のトモエさんの立場ではできないことですよ」
トモエは席を立った。
「わかった、仕事に戻るよ」
「本当ですか?」
「ごめんなさい、今のままぼーっと考え事してても本当に無駄だって事がよくわかったから」
ユキヒロはいそいそと上司に電話をかけ、その間にトモエは自室に戻り準備した。そして、今の関係ではありえなかった、一枚の写真を最後に鞄のポケットへ入れた。
「申し訳ありません!」
「申し訳ないで済まないよ、どんな言い訳もここでは通用しない!」
トモエは頭を下げたまま固まっていた。ユキヒロは遠くから心配して見つめていた。上司は言った。
「だったら、さっさと仕事して頂戴。うちの子たちでは手に負えない小さなトラブルがけっこうあったんだからさ。…もう二度とこんなことしてくれるなよ?」大量のディスクの置かれたデスクを見て、何となくその言葉の意味を理解したトモエは、無言で「居場所」に戻った。
ユキヒロは人差し指を立てて笑顔で言った。「あのですね、手助けは僕の役目ですからね?」上司はそれを見て言った。 「そ、ちゃんと仲間を支えなさい、それがあんたたちの仕事」 トモエは申し訳なさそうに上司に頭を下げた。
「いいんだよー、ちゃんとした仕事してくれりゃあ、あんたの不思議なことも調べる手助けくらいしたって。あんたは有能だ。だから甘いこと言ってるくらいに思いな」
上司はトモエにウインクした。
小さな仕事をコツコツやる。それは基本だと、かつての上司が言っていた。その頃の上司は、今の上司ではなく、男性だった。
トモエは無言でその仕事を少しずつ、確実に、すべてを、片づけていた。
「少しくらい休みなさい、そうでないと」
「長く続かないってことですよね、以前、そう仰ってくださいました」
「…あんたさ、気づいてるのかな」
「え?」
「じーちゃんばーちゃんが亡くなってから、いや、あんたの両親が亡くなってからどのくらい経っているのか」
「どういうことですか?」
「あんたたちがコールドスリープから出る契約はたった数年前のことだったんだよね。記憶がおかしいっていうのは、以前から聞いていた。それがそんなにも大きなものになっているとは、こっちも驚きだ」
「ち、ちょっと、待ってください。私、冷凍保存されていたんですか?」
「スズキアキコという女性も同時に保存されていたが、先に出る契約になっていた」
「アキ?」
「スズキアキコは、どこかからかあんたの体を持ってきたような記録が残っているが、それはどうやら本当らしいね」
「アキが、彼女と私を冷凍保存にかけたってこと?」
「いや、契約者はあんたの父親になっている。」
「私とアキは…本当は仲のいい友達だったってこと?」「そーらしいね。申し訳ないけど、こっちもあんたのいない間に勝手に調べてたもんでね。…そういう関係の記憶が残ってないってことは、たぶん、あんた記憶いじられてる上に、」
「この体は、みどりのものなのね」
「それは、もうどうでもいいことだと思うけれど。しかしね、あんたの身軽さはあの"アキ"と同類なんだよね。そっちの方が大きな問題だよ。はっきり言って、どういう接点であれと一緒に寝かせられていたのか、そしてどういう理由で記憶を書き換えたのかわからないんだよね。」
地面から、ひどい揺れが押し寄せた。
「地震?!」
窓が突然開いて、外からアキが現れた。
「よう、あんたを取り返しに来た」